日本の古本屋


古本屋のエッセー
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飾り物の価値

龍生書林 大場 啓志

 文学書、それも特に初版本などを中心に取り扱っている書店ならいざ知らず、他の分野の方々にはかなり馬鹿馬鹿しく思える話となりそうで恐縮だが、古本にはこんな世界もあるのかと、暇潰し程度に読んで頂ければ幸いです。
 先日、神田の同業の方からの紹介とのことで、初老のお客が一冊の本を持参された。と言っても天下の珍本稀本の類などにはこれっぽちも縁も無い、多分現代文学の初版本を扱う店でも売価二、三千円。郊外では均一の棚に転がっていそうな小説本である。
 昭和五十九年新潮社より刊行された「恋文」。著者の連城三紀彦はこの作品で直木賞を受賞、前作で吉川英治文学新人賞受賞している。こんな、いわゆる業界用語で白っぽいピカピカの本を何のためにわざわざ東京外れの池上まで持参してきたのか、戸惑いつつ対応したのだが、その客が言うには「是非この本の帯を鑑定して頂きたい」とのことであった。鑑定などとは相手が違うと思いつつもとにかく拝見したのだが、なるほどそれは今までに目にした事の無いもので、一般に流布している「吉川英治文学賞新人賞受賞の著者」の背文字印刷が無い。入手状況を伺うと、本の発売初日新宿の大型書店の店頭で購入したとの事であった。推測だがカバー・帯共に既に刷り上がっていたところにこの受賞の知らせが入り、急遽作成し直したのではなかろうか。その時廃棄したはずのオリジナルが誤って数冊出荷されたものと思われる。そう結論づけたのだが、白っぽいとは言え、既に刊行から十八年が経過しているので事実を確認するのは困難である。ところで、一体それが何なんだ、本の帯は別称(蔑称?)コシマキ、売らんが為出版社の宣伝用に便宜的に作られた付属品に過ぎない。たかがそんな帯一本に、推測だ事実の確認だのと大袈裟な事を言うなと思われるかも知れないが、この帯紙一本に五万いや十万の値が付けられ、マニアが獲得に血眼になっているとしたら、話は変るのではないだろうか。事実、前述の金額で是非譲ってほしいとの希望者がこのお客の周囲には何人もいると言う。

 この様な、なんらかの事情により作り変えられ、一般に多く流布している以前の帯を元帯と称してマニアは珍重している。
 古書展での桁違いはともかく、どの分野においても一冊十万もの本を何人もの客が欲しがる状況などといった、景気の良い話の聞かれなくなった昨今の業界で、これは驚異と言えるのではないだろうか。
現代文学でさえこの状況。まして戦前の文学書、又は戦後の昭和三十年頃までの帯付と帯無本では驚くほどその価格に差がでるのは周知の事実で、今さらの感があるのだが、その極端な例を参考までにいくつか取り上げて見たい。だがその前に、この帯への執着はいつ頃から始まったのか私なりに調べて見たのだが、余り判然としない。
 古本屋以前の私は昭和四十年ごろから、神田、早稲田の古本店を廻り、戦後文学の初版本集めを趣味にしていたが、ほとんど帯に関心は持たなかった。もちろん収集家、または専門店の一部ではすでに帯に注目はしていたと思うが、その事が収集家や専門店で一般化したのは、昭和四十年半ば、当時発禁本と現代文学初版本の蒐集・研究家で知られた城市郎氏の著作「初版本―現代文学書百科」の刊行が大きく影響していると思われる。なぜなら、この本の主たる内容は本そのものよりも帯の紹介に費やされてるからである。つまり、帯が付いてこそ完本、との考え方がこのあたりから定着して来たように思えるのだが、いかがなものであろうか。
 これは十年も以前の話だが、ある女流評論家から一人の作家の著作を二十点余りご注文頂いた。その大部分は戦後のありふれた本で、各帯付と帯無の二種類在庫していた。当然価格に差があるので、確認の為連絡を入れたところ、「私は本に飾り物は要らない」と憮然とした調子で言われた事がある。その時は、なるほど研究者とはそう言うものかと納得もしたのだが、図書館・記念館でさえも帯付を集める現在なら多分、逆であったろう。
 とにかく、現在では文学書に限らず、一部の美術書から映画演芸・漫画まで文科系ならなんでも帯付にこだわり、極端な例では個人全集にさえ、帯の有無を問い合わせてくる。ちょっと行き過ぎでは?と業者の私もうんざりさせられる。聞くところによると中古レコードの世界も状況はまったく同じとの事であった。

 十数年前、神保町の山田ビルで営業していた頃親しかったあるお客の依頼で、その方の帯を買う現場に立ち会ったことがある。待ち合わせの喫茶店に現れた男は、文字通りある本の帯だけを買ってくれと持参したのであった。第一回芥川賞受賞本の「蒼氓」の帯で、たしかに、その頃も今も古書界にも滅多に帯付は現れない。だが一般にはいかに珍しい帯とは言え本に巻かれている状態で取り引きされるのが常識と思うが、帯だけをテーブルの上にだされた時には唖然としつてしまった。まったく意表をつかれたわけで、当店で保管していた半分だけの帯と比較して、本物には間違いないと思うのだが、なんとなくスッキリとしない。が、結局お客は五十万余りの現金を渡し、商談は成立したのである。
 ところで、肝心の帯付と帯無の価格差だが、昭和十二年芥川賞を受賞した石川淳「普賢」は帯無は二十万前後だが、帯付は今でも百万ぐらいするかも知れない。かも知れないと書かざるを得ないのは、他店はともかく目録もインターネットもやたら忙しい割りに売り上げ額が伸びない、つまり高額商品の売れない今日、百万と言う数字に自信が持てないからである。太宰治の第一著作「晩年」にしても帯無美本が四、五十万。帯付でバブル期(バブル期などすでに死語に近いが)の京都の全連大市会で三百万弱での落札は夢幻であったにしてもその半分ぐらいはするであろう。
戦後でも井上靖の「流転」や芥川賞受賞本の「闘牛」などは帯無六、七万。帯が附けば十倍近い値になると思う。ついでに、三島由紀夫の昭和二十四年、河出書房から刊行された「魔群の通過」の帯付は、この三十年まったく市場に現れた記憶は無い。帯無は市でもたまに見かけるが、美本で十万前後している。
 ただし、この本の帯付完本となると十倍となるのか二十倍となるのか見当もつかない。たかがコシマキ一本と粗末にするなかれ。文学書初版本は本より帯に多くその価値が付けられてている。これは識者は苦々しく感じるであろうが、それを求める収集家がわれわれの大切な顧客である以上、その蒐集に少しでも役立つことで、喜んでもらえ、われわれの生活も潤うと言うものである。ご同業各店の奥深い倉庫の片隅にそれらは陽の目を見る日を待っているかも知れない。

東京古書組合発行「古書月報」より転載
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