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古本屋はパラノイアか古書月報−パラノイア文献学より− |
先日、理事の方から「月報の原稿書いてよ」と言われた。 また調子良く「いいですよ」と何も考えず答えてしまった。 「パラノイア文献学」というコーナーだそうだ。 最近、忙しくてあまり月報も読んでないので、事務所に戻って読み直してみた。たまたまアルバイトさんが来ていて、聞いてみた。 「パラノイア文献学っていうコーナーを書いてと言われたんだけどさー、パラノイアって何?」 「パラノイアって病気の名前でしょう」 「何、病気の名前!」 医学史専門店としては、病気の名前と言われてはだまってはいられないのだ。 早速、棚から医学用語辞典(こういう本があるところが良いところ)を調べてみた。 ☆パラノイア〜妄想症・偏執症〜 すっかり何を書いて良いのかわからなくなってしまった。 現在、私は医学史と近代資料を中心に本を取り扱っているが、自分がパラノイアと思ったこともなければ、その知識もパラノイア的なものとは、ほど遠い。 私が本の知識として持つものは、あくまで古書籍商としての商売の中にある。 お客さんが必要である本を探すための知識である。 本は好きだが、少なくとも事務所の棚に並ぶ本達は、商品なのであって、それ以下でもそれ以上でもない。 個人的に買って読む本は、それとは別に私的な楽しみの本達だ。文学書や趣味的な本はあまり読まない。研究書などが多い。それはともかく、私が、肺結核の本や、近代衛生史の本を愛して止まないなんてことはないのだ。 そもそも古本屋には、世捨て人・社会から一歩外れた人というイメージが伴う。異常な本への執着といったようなことか。 それはそれで否定はしないが、全ての古本屋がそうなわけではない。 例えば、月の輪書林の高橋さんが、店の中で本に埋もれて、店で寝泊まりして、風呂に入らないでいることが、何か魅力的なことのように感じるようなことである。 そういったことに私は全く魅力を感じない。早く風呂に入ってもらいたいものである。 まあ、そういう高橋さんも、結婚して毎日お風呂に入って、やわらかいベッドで寝ているようなので、安心だが。 さて、ともかくも古本屋が本の知識を持つことは当たり前のことだろう。その知識の持ち方は多種多様であって良いし、社会の中で古本屋であるからどうだとかこうだとかいうのもナンセンスだろう。もっと自信を持ってアカデミックに生きても良い気がする。まあ、本に全く興味なさそうな人も市場に一杯いるので、そういう意味では、パラノイアと極をなすのかもしれないし、このコーナーの意味すら考えない人もいるのだろうけど。 「つべこべ言わないで、本のこと書けばいいんだよ」という諸先輩方の声が聞こえてくるようである。しかし、何かを書く時に、何のことを誰に向けて書くのか、そういうことは気になって仕方がない。そう、まさにそういう点ではパラノイアなのである。 |
東京古書組合発行「古書月報」より転載 |
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