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パラドクスに踊れ!

古書月報−パラノイア文献学より−
西村文生堂書店 松川  慎

古くはポーに始まり圧倒的支持を受けたS・ホームズの生みの親コナン・ドイルによって活路を見出したのが探偵小説であるといえるが、トリックのカーニバルG・K・チェスタートンの存在を無視することは出来ない。
我が国でも探偵小説を芸術の位置にまで高めようとする努力は成されてきたが、今に至っても前述の三名を凌駕する作家は本格探偵小説という範疇においてまだ出現していないといえる。
ポー、ドイルに関する評論は星の数も出版されているがチェスタートンとなるとその十分の一にも満たないのが悲しい現実である。
哲学者として知られる氏の作品には宗教講義じみたものが随所に顔を出すこともあり、全体を通して難解な文章は咀嚼するのに手間がかかるため、お世辞にもドイルらと比べて大衆向きとは言い難い。しかし死闘の果てに手に入れた恋人が永遠に輝き続ける可能性のあることを否定する者はいないだろう。
本格探偵小説とは作者と読者との知的ゲームである。
一見不可能と見える犯罪を合理的に解決に導くことがこのゲームの核であり、犯人の仕組んだトリックが華麗であればあるだけ読後感は爽快であると言える。そこに文学的要素を加味することでより芸術に近づけば鬼に金棒、ミルコ・クロコップさえ舌を巻く。
飄飄としたブラウン神父をパラドクスの海で心ゆくまで泳がせ、仕上げにトリックというボルドーを流し込む。
氏の世界でしか名作『折れた剣』は生れないし、『ムーンクレサントの奇蹟』も成立しない。『見えない人』の謎はおそらくS・ホームズや金田一耕助だったら解決出来そうにもないし、『ブルー氏の追跡』や『グラス氏の失踪』もポーやヴァン・ダインでは書けなかっただろう。『古書の呪い』や『ペンドラゴン一族の滅亡』にいたっては奇想天外すぎてチェスタートン以外に閃くはずもない。
完成された探偵小説は芸術となる。エレガントかつゴージャスという表現は叶姉妹のみへの賛辞ではなく文学に対してこそ使用されるべきだ。今を溯ること百年前に既に誕生していた芸術、チェスタートン作品群。今宵遊びませんか?彼の宇宙に……

東京古書組合発行「古書月報」より転載
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