U.”A Valentine:To−”
まづ、第一のacrosticの全文を引く。
A Valentine(1)
For her this rhyme is penned,whose luminous eyes,
Brightly expressive(2) as the twins of Leda,(3)
Shall find her own sweet name,that nestling lies
Upon the page,enwrapped from every reader.
Search narrowly the lines ! they hold a treasure.
Divine,a talisman,(4)an amulet
That must be worn at heart.(5)
Search well the measure −
The words−the syllables.Do not forget
The trivialest point ,or you may lose your labor:
And yet there is in this no Gordian knot(6)
Which one might not undo without a sabore,
If one could merely comprehend the plot.
Enwritten upon the leaf where now are peering
Eyes scintillating soul,there lie perdus(7)
Three eloquent words(8) oft uttered in the hearing
Of poets,(9)by poets−as the name is a poet’s too.
Its letters,although nattually(10)lying.
Like the knight Pinto,Mendez Ferdinando,(11)
Still form a synonym for Truth.(12)
―Cease trying!
You will not read the riddle,though you do the best you can do.
[大意]かの君の為このうたは誌されてけり。レダ星座な双星ともきららかに意ぞ深き、かがやかし君が眼は、己が愛き名をば見出でむ。その御名ぞ、なべての読手の眼より逸れて、この紙の面に包まれて、臥し横はる。毎行を篤と訪ね給へ!そは聖き寶を、呪符を、こころに掲ぐる護身符を秘めたり。意してたづね給へ韻節を―語句を―綴音を。な忘れそ、いと些末なるくだりをも。然らずば君が辛苦を徒となりなむ。さはさりながらこのうちには、剣あらでは解き難き、ゴルデイウスが纈はなきものを。たゞその策略だに覚りなば足る。今熟視する眼をあつめ、こころの火花閃かすこの紙の面に誌されて、しばしばに詩人の口にする、詩人の耳にする音に知られし三語は潜む―その名亦詩人のそれにしあれば。その文字ゆ、騎士ピントウ・メンデス・フェルディナンドのごと、そのままに横はれども、猶もかつ真理の異名をなすものぞ。―やめ給へ、討ぬることを!いかに精魂を竭し給ふとも、この謎所詮読釈き給ふまじ。
[注] (1)A Valentine 西紀三〇六年二月十四日羅馬の聖僧Valentinusが斬罪に處せられた。この献身受苦を記念して今に二月十四日を之が祭日とする。一方、何時の頃よりか巷間に、この日より鳥類が交尾すると伝えられやうになつて、この祭日は古来の祭日の原義以来、あるeroticな心持を籠めた祝宴の日をなつてゐる。この日には戯れに恋人を選んで遊ぶ。この恋人のことをValentineと呼び、またその人に捧げる詩をもValentineと云ふ。此處ではその最後の意味である。
(2)expressive.「意ぞ深き」とするのは実は不適訳で、「うちなる感情の表白に巧にして、また表白に富める」の意。 (3)the twins of Leda 「リイダ」は星の名。勿論、他のすべての星の名と同じく希臘神話から出た名である。 (4)talisman.呪符、殊に占星学astrokogy(天文学astonomyの前身をなす上代科学。単なるScinceと云ふ以外に、多分に神秘説mysticism的な傾向を持ち、MagicやReligionと深い契約がある。この点、錬金術Alchemyの科学Chemistryに対する関係に等しい。)上の呪符であつて、多く鬼面を彫ってある。 (5)Anamulet that must be worn at heart.「心(心臓)に掛けねばならぬ護身符」と云ふのは、結局「恋人の名前」と云ふことである。
(6)Gordian knot Gordiusの纈。Gordiusは小亞細亞の古代王国Phrygiaの王である。その男がこの纈を結んで、これを解いたものは亞細亞に君臨すると預言した。歴山大王は印度遠征の折この纈を解かうとして力めたが果さず、腰の剣を抜いてこれを両断したと云ふ伝説がある。この伝説を知つてゐれば、”Which one might not undo without a sabre”と云ふこれを承けた語句は容易に了解される。一體この”Goridian knot”と云ふ語は「難題」の意として一般に用ゐられるが、ここでは単なる「難題」以上に、暴力を以てするの外解決不可能の問題と云ふ意味である。
(7)perdus 仏蘭西語、pe-r-djuと発音する。「埋伏せる」「潜伏せる」「不可見の」と云ふやうな形容詞で、殆ど英語化されてゐる。Miltonの”Paradise Lost”の佛訳は”Paradis Perdus”とあり。この場合、”Perdus”は”lost”の意味で用ゐられてゐる。
(8)Three eloquent words この場合のeloquentは、「その言葉を云へばすぐにそのものが心に浮んで来るやうな」と云ふ意味で、耳に熟した、さう云ふ意味でeloquentなと云ふ意味。
(9)in the hearing of poetsは、詩人の聞き得る範囲内に於ての原義から「詩人の集まる席上に於て」に意味になる。””Of poets by poets”と重ねたところは面白い。
(10)naturallyその名を本来のspellingのとほりの順で、すこしも前後を乱さずにと云ふ意味。
(11)Pinto,Mendez Ferdinando 西班牙名ゆゑMendezはMendesとzを清音のsで発音する。Ferdinandoの最後の”-do”はoを本来長く延ばすべきではなく日本語の「ド」と同様に発音すべきだが、最後のlineと脚韻を合はせる関係上、douと発音する。このMendez Ferdinandoと云ふ男に就いては今ちよつとわからない。調査の上次号ででもお知らせする。
(12)a synonym for Truth これは後に説明する。こんな言葉を挿んで、このriddleを解くkeyを与えるやうに見せて、実は却つて読者を困乱させるのは、探偵小説で妙に犯人らしい(実はそうでない)男を点景として描出するのと一般である。
この詩は1849年(この年の十月にPoeは死んだ)の三月三日の、Bostonのさゝやかなweekly “Flag of Our Union”に掲げられた。この他に”New York Evening Mirror”紙の同年二月二十一号、同年三月号の”Sartain’s Union Magazine”にも掲げられたさうである。ところで、この”Flag of Our Union”紙には、次のやうなforewordが添へてある。
“At a Valentine Soiree,in New York,the following enigmatical lines were received among others,and read aloud to the company.The verses were inclosed in an envelope,addressed ‘To Her Whose Name Is Written Within.’ As no lady present could so read the riodle as to find her name,the valentine remains unclaimed.Can our readers discover for whom it was intended?…Should there be no solution …of the above,we will give the key next week.”
“Next week”たる三月十日号の同誌には、
“To transcribe the address of the Valentine,in our last paper,from…Edger A.Poe,read the first letter of first line in connection with the second letter of second line,…and so on to the end.The name of our contributor,Frances Sargent Osgood,will appear.”
とある。”First line”の”first letter”は勿論”For”の”F”.次はBrightlyの”r”第三行の第三字は”Shall”の”a”.第四行が”Upon”の”n”.次は”Search”の”c”.次が”Divine”の”e”.それから”That must”の”s”.”The trivialest”の”a”.”And yet there”の”r”.”Which one might”の”g”.”If one could merely”の”e”.”Enwritten upon”の”n”.”Eyes scintillating”の”t”−以上で”Sangent”―.”Three eloquent words”の”o”.”Of poets,by poets−as”の”s”.”Its letters,”although”の”g”.”Like the knight Pinto”の”o”.”Still form a synonym for”の”o”.それから末行の”You will not read the riddle”の”d”で、”Osgood”となる。このFrances Sargnet Osgoodが何故a synonym for Truth”であるか、多分”Sargent of good”の洒落と思はれる。FranceからSt.Francis of Assisi まで引合ひに出せば却つて牽強附會の太しきものにならう。一體、Poeと云ふ男は亞米利加人の御多分に洩れず駄洒落のすきな男で
ある時酔つぱらつて往来に臥てゐる所へ友人が通りかかつて”Oh,Edger Poe!”と云つたところが、”No,Poor Edger!”と答へたと云ふ話がHarrionのPoe傳に書いてあるし、”Marginalia”と云ふ随筆を読んでもしきりに駄洒落を云つてゐる。だが、ここではその駄洒落を云ひたがる性質や、嚢に註のところで述べたやうな理由以外、何とかして詞句を続けやう、字数をあてはめようと云ふ苦しい、無理な態度を見るべきである。無理な、或は不用意な文字の使ひ方は、殊に脚韻に於て太しい。第二行の”Leda”と第四行の”reader”との如き、第十四行の”perdus”と第十六行の”too”との如き、第十八行の”Ferdinando”と末行”do”との如き、随分無理な使ひ方である。一體、Poeは脚韻には随分無理な押韻を試みてゐるが、それがまじめな詩の場合には決して邪魔にならず、ある場合には異常な効果をさへ収めてゐる。それが、かくの如き戯作詩の場合には、あまり面白くない結果を見せる。こんな種類の詩には、rhymingその他の点に於て苦しさうな用法、不自由な技巧は、一切避くべきで、かかる遊戯詩には表面上辛苦の痕が些かでも見え、すこしでも無理があれば、すぐに読者ののんきな心持に澁滞を来たし、感興が枯死して、一歩も先に進まなくなるからである。軽快暢達、些の障礎もないところにかかる詩の生命は存在する。いづれはこの種類の詩のこととて、それ以上に深い意義も生命もありようはない遊戯文学である。そのくせ詩技の一点に於ては、真の詩以上にむづかしいとすれば、およそ無駄な労力と云はねばならぬ。
既に述べたやうにこの詩の発表されたのは1849年であるが、Mary E.Phillpsによれば、その制作は1846年のことだと云ふ。(Phillips;Edger Allan Poe the Man,1926,vol.U,p.1092.Phillipsは別に例証はあげてゐない)。この説はわたくしにはまづ無理のない説かと思はれる。PoeがOsgood夫人にはじめて会つたのは1845年三月であり、夫人と交を断つやうになつたのは翌46年6月中のことである。勿論、その後にも心持の上では双方とも交際当時と同様であつたのだから、その後の作と考へてもよいが、それはすこし苦しい考へ方である。またromanticな彼が、未見の夫人を対象としたと考へて、1845年のValentine節の頃の作と見做すことも出来ない。Osgod夫人は知名の女詩人であり、また現に―すこしこれとはわけが違ふが―その年の二月二十八日紐育史学協会図書館(一般にはThe Society Libraryて通つてゐる)で”The Poets and Principles of Poetry”と題する講演をして、Osgood夫人を激賞してゐるからである。1845年以前の作では断じてないことは、Poeが紐育に移つたのは1844年の4月上旬であり、”Union’紙にも”At a Valentine Soiree,in New York”とあるのを見て瞭かである。如上の次第で、これは1846年の作と見るのが一番穏当であらう。1846年のValentine節には、Poeは招かれてMiss Anne Charlotte Lynchの宅の夜会に臨んでゐる。この夜会には妻Virginiaもともに出席したらしい。妻にとつては地上での最後のValentine節である。(Virginiaがことは後に述べる。)
‘46年の2月14日は土曜日であつた。その前日、金曜日(13日の金曜である!)に、Miss LynchはPoeにかう云ふ手紙を書いてゐる。
“I think you for your very kind notice of my poems,no less than for your…friendly note …But I am exceedingly pained at the desponding tone in which you wirte.Life is too short & there is too much to be done in it,to give one time to despair.Exorcise that devil…as speeding as possible…at all events come over and see me to-morrow eveining(Saturday)&we will talk the matter over…”the whirling gulf of phantasy & flame.”…Give my very kindest regards to Mrs.Poe.…I hope she will be able to come wit h you…I shall take the Tales with me & read them in the country.Many thanks for them.
Very truly yours,
Anna C.Lynch.”
文中”your kind notice of my poems”と云つてゐるのでもわかるとほり、Miss Lynchも亦文人である。PoeのMiss Lynchの詩に対する批評と云ふのは何を指してゐるのかわからない。どうも1845年末からこの頃までにLynch評を書いたと云ふ記録はない。或はその評論は散佚して未だに発見されないのかも知れぬ。さうでなければThe Literati of New York City(紐育騒人志)中のMiss Lynch評であらう。これは”Godey’s Lady’s Book’と云ふ小雑誌に、その年の五月から十月まで連載されたもので、Lynch評はその九月に掲げられた。しかし、その以前に書かれたものであることはOsgood夫人の記述に徹して瞭かである。この想像はあながち無理ではない、その草稿をMiss Lynchに送つて示したと云ふことは、Poeの習慣から見てもありさうなことである。彼の尺牘に見える”desponding tone”は、その尺牘が現存してゐないのでわからないが、この年のはじめに自家の雑誌”Broad-way Journal”は経済上の破綻を来たして廃刊し、前年末以来過労の結果身神の衰弱太しく、一月初旬には著作の上梓を依頼して拒絶され、債鬼には例の如く攻めたてられ、妻Virdiniaの健康例によつて思はしくなかつたのであるから、蓋し無理もないところと思はれる。最後には、”Tales”田舎へ持つて行つて読むつもりだと云つて禮を述べてゐるが、これは前年1845年初夏、書肆Wiley&PutnamからWily&Putnam’s Library of American Books と云ふ叢書の第二篇として出した短稗集のことである。この頃になつて漸く贈つたものと見える。本文228頁、duodecimoと云ふ四六版よりも幾分小型の紙表紙本で、短稗十五篇を収めてある。この短稗は書肆の顧問Duyckinkと云ふ男の選択したもので、この選択にPoeが満足してゐなかつたことはPoeの手紙によつて知ることが出来る。
嚢に記した”the Literati”中のMiss Lynch評にはかう書いてある。
“Miss Anne Charlotte Lynch has written little;her compositions are even too few to be collected in volume form.…In poetry,lowever,she has done better,and given evidence of at least unusual talent.Some of her composition in his way are of merit,and one or two of excellent.”
これだけ見てもわかるとほり、ほめてはある、しかし、結局義理でほめただけで、それ以上にどうかう云ふのではない。まことにpassonのない書き振である。思ふにこの婦人は、作者としては大したものではなかつたのあらう。
Miss Lynchのことはこの位にして、肝腎のFrances Sargent Osgood夫人とは如何云ふ人か。Poeがこのacrosticを贈つた相手は如何云ふ人か。ゐるものと見做して差し支えないであらう。
※昭和4年発行の雑誌「英語と英文学」から原文まま再録しました。
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