矢野目源一のまなざし(後編)

小野塚 力

室 内

柱時計ゆるく四時を打つ…
讀み了へしリイル・アダンを閉ぢ
軽く疲れて身を起す。

絲鞠はおとなしく廻[めぐ]りほぐれ、
うつむきて象牙の針を運ぶ
君のまろき胸と肩は
柔らかき呼吸[いき]に昂まる。

窓より入る陽[ひ]の光は白く
飲みさせる洋盆[コップ]の縁[ふち]に輝き
果物の甘き匂を漂わす。

かくて君が静かなる横顔に、
蒼ざめし空を描き雲を浮めて、
杳かなる眺めに心を躍らしむ。

こういった詩の中に矢野目自身のディレタッンティズムを見出すのは容易だろうが、その根底には、正常者としての社会復帰を根本から拒絶される病者の自覚があることを忘れてはならない。結核を病んだことで能動的な生を強制的に拒絶された詩人の玩弄品としての創作という方向性にむかっていったのだろう。続く第二詩集「聖瑪利亞騎士」(大正十四年五月十五日刊)において詩人は様式性、神秘主義的な要素をさらに押し進めていく。

 聲

Oh! Qu’ils gont beaux ces bruits de la nature,
Ces bruits repandus dans les airs!
Maurice de Guerin

樹々をめぐり
風に御[の]り 飄々と
普天にひろがりゆくこの響音[ひびき]は
陽光[ひかり] いま世界[よ]を領したれば
いかに遼[はる]かなることぞ

天[そら]と地[つち]の姿相[すがた]に
翼[つばさ]あるものを翔ばしむる
未知の息吹[いぶき]は
山脈[やまなみ]を揺[ゆ]り
野を展[ひら]き
青き野馬[かげらふ]を牧[くさか]ひ
小流に細鱗[いろくづ]を躍らしめ
一日の花によき誕生を齋らして
角笛[かく]のごとく遠き群を招く

かゝるとき
身は陰影「かげ」に在れど
仄かなる聲は 内心[うち]に
われに當来[きた]るものを燃え立たすなり

巻頭の詩を掲げた。一読して窺えるように「光の處女」には残っていた素朴な感情の高揚などはみられない。凝った作になっており自らのロマンチックな意識を結実したかのような詩が多く収録されている。あたかも現実を遠ざけて己の夢想にたてこもろうとする詩人の姿が垣間見えるようだ。こうした閉鎖的な遊離精神の結実を私は続く訳詩集「恋人へおくる」(昭和八年八月五日刊)にはっきりとみることができるようにおもう。

酒ほがひ オリヴィエ・パツスラン

ノエといふ御先祖[ごせんぞ]さまはお偉[えら]い方ぢや
この御仁[ごじん]われらがために葡萄樹[ぶだうじゆ]をお栽培[つくり]なされ
はじめて葡萄[ぶだう]の汁[しる]を飲[の]まれまいた
  これはこれ百薬[ひやくやう]の長[ちやう]

さるにてもリクルグス 愚[ぐ]の骨頂[こつちやう]
町中[まちぢう]に酒[さけ]を法度[はつと]したとある
水[みづ]を飲[の]む輩[やから] 碌[ろく]な往生[わうじやう]は遂[と]げられまいに
  これはこれ百薬[ひやくやう]の長[ちやう]

善[よ]い酒[さけ]を飲[の]むほどなれば働[はたらき]もある
世間[せけん]では間々[まゝ]酒浸[さけびたり]が長命[ちやうめい]して
學識[がくしき]の醫者殿[せんせい]が夭折[わかじに]なさる
  これはこれ百薬[ひやくやう]の長[ちやう]

酒[さけ]は飲[の]むべし不老[ふろう]の甘露[かんろ]
飲[の]めば飲[の]むほど元氣[げんき]が出[で]るが
俺[わし]が一杯[いつぱい]やらうなら金剛力士[かんがうりきし]も何[なん]のその
  これはこれ百薬[ひやくやう]の長[ちやう]

ノエさまとて天晴[あつぱれ]器量人[きりやうじん]のござつたれば
末代[まつだい]までも飲[の]んで傳[つた]はる葡萄[ぶだう]の名酒[めいしゆ]
見事[みんごと]乾盃[ほし]て進[しん]ぜませう お過[すご]しなされ皆の衆[しう]
 これはこれ百薬[ひやくやう]の長[ちやう]

意訳というにはいささか極端なものがこの訳詩には表出されている。五七調を基調とし、謡に近いリズム感で示される字句には、種村季弘氏のいう江戸歌舞音曲の影響をみることができるかもしれない。「はしがき」の「譯者はこれらの詩篇を邦譯するに当つて、原詩の香気と優婉なる感情を失はざるしめんがために、その聲調を日本古来の歌曲に濾過しようと試みたことを許していただきたいと思ふ。」と記述されている通りである。しかし、ここに矢野目の一元化への志向が顕著に示されていることも忘れてはならない。フランスの古詩を「その聲調を日本古来の歌曲に濾過しようと試み」ること自体が、矢野目源一において東西の区別や詩の好悪などの選別という行為一切から解放されていることを窺わせている。「濾過」という字句に暗示される矢野目の遊離感覚の根底にある二元論の超克。この部分に吉行は注目し、また共感を抱いたのだろう。吉行自身が第三の新人として戦後派の観念性への違和感から出発し、感覚に重きを置き、性を媒介として自らの茫漠とした思いを提示し続けた。こうした背景をもつ吉行にとって、矢野目の一元化への意識は身近なものだったにちがいない。それゆえに〈様式美〉を強く意識した戦前の矢野目源一の活動については興味をもてるものではなかったのだろう。もしかしたら矢野目の戦後の営為に吉行は混乱した戦後の様相そのものを見出していたのかもしれない。震災や戦争は、矢野目の文学における〈様式〉を奪い去ったように思う。つまりはスタイルへのこだわりを喪失させたのではないだろうか。歌集や詩集、訳詩集にみられたような様式美は戦後においてはなりふりかまわぬものに変化していく。それは矢野目自身の変化とも密接に結びついている。様式の解体は詩人になにをもたらすのか。矢野目自身の作品の核に、常に阻害者としての意識があることは述べてきた通りである。結核を病んだことも理由として挙げることもできようが実際のところ、矢野目自身の生来のものに由来する部分も多分にあったことだろう。戦前においてはスタイルに溶かしこまれることで曖昧になっていた〈相対化〉〈無化〉への志向は、戦後において様式への放棄とともに顕著なものになったとはいえないだろうか。そしてそれは作品上だけでなく、矢野目自身の生の根底論理として踏襲されることになったにちがいない。解体されてゆく〈個〉という有様を矢野目の軌跡から窺うことができよう。一切のものが無化されてゆくような生き方。それは何物にも囚われることのない実存ともいえる。しがらみがないということはどんなものにもなりうるということに他ならない。ある種のしたたかさ、強靭さすら私は矢野目の営為に感じるのだ。私の矢野目源一という文学者への興味は、どうやら極限性との対峙や零落者としての生、そうした〈下降感覚〉への共感から生まれているようだ。解体されゆく〈個〉としての矢野目のありかたそのものへの興味ともいえるかもしれない。


          ―完― 


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