今回は、1960年代半ばの空江さん一家の「外国旅行」について書こうと思う。
50代半ばの空江伸平さんは、東西商事の調査部長で定年を迎えた。幸いなことに子会社の顧問就任も決まり、出社までの数ヶ月間を利用して妻のミチ子さんと海外へ出掛けることを計画する。飛行機で香港からバンコク、インド、エジプトなどを経て欧州各国を訪問、北欧を経由して帰国する旅だ。貿易会社で社長秘書を務める娘のアツ子さんも加わり、45日間の外国旅行が始まった−。
空江さん一家は実在の家族ではない。映画や小説のキャラクターでもない。彼らは、実業之日本社が60年代半ばに刊行を始めた旅行案内書シリーズ、ブルーガイド海外版の「海外旅行 空の旅」の主人公なのである。なぜ、旅行ガイドブックが物語仕立てになっているのか。それには時代背景の説明が少々いるだろう。
500ドルという制限付きながら外貨の持ち出しが自由化され、観光での海外旅行が認められるようになった64年。当時のニュースフィルムは、海外旅行解禁について「外務省の旅券課に連日、2、300人が訪れる押すな押すなの大盛況」と報じたが、外国は庶民にとってまだまだ縁遠い世界。この年の海外渡航者は約13万人にすぎなかった。当然、一般向けの海外旅行ガイドブックはほとんどない。個人の旅行体験記のようなガイドブックを別にすれば、52年に刊行が始まった日本交通公社の「外国旅行案内」(77年に「世界旅行案内」と改称し82年に廃刊)がほぼ独占的な存在だった。
そんな中、海外旅行ガイドブックの今後の拡大に目をつけたのが実業之日本社。ただ、先行する交通公社のように海外に強力なネットワークはない。そこで日本航空の全面的な協力を得て、さまざまな国や地域を紹介するブルーガイド海外版JALシリーズをスタートさせた。この空江さん一家の「空の旅」もシリーズ初期に刊行された一冊。海外旅行を疑似体験することで身近に感じ、旅行の基本的な知識なども身につけてもらう狙いだ。60年にDC―8が就航してジェット機時代が到来、国際路線を拡大し始めた日本航空にとって、今後の顧客開発に向けたツールの一つとなったことだろう。ちなみにジャルパックの発売は、自由化翌年の65年である。
物語の人物設定は、明らかに今後の海外旅行のターゲット層だ。田園調布に住む空江さん。妻と娘、息子以外に戦争未亡人らしい義姉が同居している。空江さんは一流企業を定年となって退職金が入った人物。妻のミチ子さんは「往年の美しさはまだ失われていない」48歳である。
定年を迎えたばかりの空江さんが家族会議を開き、「お母さんと一緒に外国旅行をしてきたい、飛行機で」と口火を切る。そこで「みんな一瞬しーんとなった」のは、海外旅行に夫婦で出かけるなんて「あまりに思いがけなかった」からである。結局、家族みんなの賛成を得たばかりか、娘のアツ子さんまで参加することになる。旅行の費用は3人で200万円程度。今後の生活に支障をきたさないかどうか、しっかり財産調べをしてはじき出した金額だが、60年代半ばの小学校教員の月給は2万円前後。実にその100倍に当たる金額だ。
しきりにお金の心配をする妻のミチ子さんは古いタイプの日本女性で、初めて会う旅行代理店の男性社員を見て「娘のお婿さんにいいんじゃないかしら」と呟く。旅行会社のステータスがうかがえるエピソードである。携行品の用意では「ハンガーなんかいるんじゃないかしら」から始まり、「インスタントのお味噌汁、ラーメン、ふりかけ海苔、佃煮、お茶、梅干、おそばくらいはもって行きたいわ」と話し、最後には米もバッグに入れようとし、軍隊経験のある夫から「荷物は少ないのが一番」と止められる。
現代っ子の娘アツ子さんは、バリでダンスを見た際に撮影をためらい、ガイドから「大丈夫ですよ、首狩族じゃないんですから」と諭されてしまう。写真のキャプションには「半裸の男女が踊り狂うバリ島の舞踊」とあり、当時の一般的日本人の東南アジア観はこんなものだったのだろうと思わせる。ただ、海外事情に疎いのは、空江さんも同じ。欧州で初めて見る「白い子馬」(ビデ)に好奇心を抱き、使ってみてそのくすぐったさに思わず苦笑する。
本書はささやかな赤ゲットぶりを随所に組み込んでいるが、機中の客室乗務員に「今はもう国際線で丸首にステテコなんてお客さんはいない」と言わせるシーンがある。少し前までは、困った客がいた、そんなことはするな、というメッセージなのだろう。
会社と個人の関係も現代と異なるのがよく分かる。空江さんが「目をかけてやった」部下が各地の支店長になっていて、ホテル代なども払ってくれる。彼らは経費で落としている模様で、財布まで会社と一体になった高度成長期のサラリーマンライフを髣髴させる。
本の定価は330円。息子のワタル君が新婚旅行に出かける米国編付き。口絵のパリ・オルリー空港の写真には「東京羽田からここまでわずか19時間」とある。
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雑誌「ホテル・ジャンキーズ」63号(2007年8月刊)初出に加筆
【プロフィール】にしで・たけし 1961年京都市生まれ。都内の報道機関から東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)に出向中。携行品を通した日本人の海外旅行史「モノ語り ニッポン洋行御支度史」を「ホテルジャンキーズ」誌に連載している(現在21回目)。共著に「アジア戦時留学生」「TVドラマ“ギフト”の問題」など。
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