『痕跡本のすすめ』について

古沢和宏


「先日amazonで古本を買ったら、店主の見落としかびっちり書き込みがあっていらっときたけど、「痕跡本のすすめ」を読んでそれもありか、と思えるようになった」先日みた、ツイッターでのかきこみです。そういう声をみるにつけ、嬉しいと同時に、なんだか申し訳ないような気持ちにもなってきます。それは、この本が実は、僕の個人的な古本体験の記録、といっても過言ではないようなものだからです。

『「痕跡本」それは古本を買ってくるとたまに残っている、線などの書き込みや、メモ用紙等が挟まっていたりなどの、前の持ち主の痕跡が残された本の事。そこには、前の持ち主が本と過ごした時間が、ものがたりとして残されています。』

…なんて今回の本の巻頭でもさもそれっぽく説明をさせて頂きましたが、そんな風に思えるようになったのは、実は古本屋巡りをはじめてずいぶんたってからの事でした。古本屋にいりびたりはじめた大学時代、僕はろくすっぽ授業に出ないで古本屋通いを続ける日々。 でもその当時はただ、単に新本より安い、とか、新本じゃ買えなくなってしまった本が買える、とか、 古本に対してそんな程度の認識でしかありませんでした。だからその当時の僕にとって、書き込みのある本はたんなる読みにくい本でしかなく、 読み込まれた本は、ただのぼろい本、以外のなにものでもありません。古本のにおいは確かにその当時から好きでしたが、 できればきれいな本がほしいな、本棚映えのする本がほしいな、なんて考えながら古本屋通いを続けていたのです。

そんなさなか、とあるぼろぼろの本との出会いが、僕の人生を大きく変えます。
日野日出志著「まだらの卵」…。某まんだらけで100円でたたき売られていたこの本、表紙から千枚通しのようなものでめった刺しにされていました。 読むと指先がその傷跡にどうしても当たり、いやでもその存在を意識せねばなりません。 内容の気持ち悪さもさることながら、前の持ち主の、無言の破壊衝動がぶつぶつの感触からつきささり、 だんだんしびれていく背筋。いやだなぁと思いながらよんでいるうち、ふとその「いやだ」が、実はこの本でしか味わえない、 特別な体験である事にきづきます。 この「痕跡本のすすめ」は、そうして集めるようになった痕跡本の紹介とともに、 「まだらの卵」を始めとする痕跡本との出会いで変わっていった、僕の古本への思いがつめこまれています。 ここで総てを語りきる事はできませんが、でも一つだけ確実にいえることは、 おそらく「まだらの卵」と出会わなかったら、僕は古本屋になりたい、などとは思わなかったでしょう。

出版後、ツイッター等を通して、様々な方の声を聞く事ができるようになりました。 そんな中でも多いのが、自分が持ってたり、あるいは出会った痕跡本についての思い出話です。 ツイッター等で、決して僕へのメッセージとしてではなく、共感し、自分の思い出話として語られているその姿をみながら、 「あぁ僕だけではなかったのだな」とたまらなく嬉しくなったりしています。 「痕跡本」という言葉は、実は僕が勝手につくった造語にすぎません。 でも今回、こうしてそういう方々の声を聞くことができたのも、この「言葉」に負うところがたまらく大きい気がしています。 この本が、読んで下さる方の、古本体験のどこかの琴線に触れる様な事があれば幸いです。

五っ葉文庫 ブログ
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プロフィール
古沢和宏
1979年生まれ、愛知県在住。「古書 五っ葉文庫」店主。
大学在学中から古本の魅力にはまりこみ、やがて「大切に読みこまれた本には持ち主との物語が刻まれている」ことに気づき、書き込みやよごれが残る本を「痕跡本」と名付け、収集するように。高遠ブックフェスティバルやブックマークイヌヤマなど、各地の古本市では、痕跡本の面白さを広く一般に広めるため、精力的にイベントを行っている。  


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