小出版社にとって、PR誌を出すことは、“夢”である。
学生の頃――今から四十数年前のことだが――『未来』(未來社)や『図書』(岩波書店)を定期購読していた。価格も手頃だし、中に面白いエッセーもあり、新刊案内もわかるといった一石二鳥どころか三鳥も四鳥もあるものであった。
小出版社(新評論)に入社し、編集長になった頃、この“夢”が沸々と湧いてきた。しかし、それを実現するためにはいくつかのハードルをクリアせねばならぬ。まず、どういうスタイルにするか。『未来』や『図書』のようなA5判の表紙付きのフツーのスタイルにするか、どうするかという問題。次に、誰に送るか、購読してもらうか、何部位作るか、と次々に難問が襲いかかってきた。
ここで考えたのが、従来のスタイルにこだわらないこと。新刊案内にちょっと毛のはえたものでもいいではないか、と。四頁でも八頁でも。それから、本の中にはさみ込める大きさ。それなら、結構部数は作って宣伝効果があるかもしれぬ。
これでできた第一号は、『新評論』の創刊号だ(一九八三・四)。新聞のプチ・タブロイド判の形である。下に、三八ッ広告を模して、当月の新刊を入れる。中は、すべてスタッフが編集長を取材して書いた記事だ。何故、この新刊を出版したのか、この新刊と別の新刊とはどういう関係があるのか等、編集部員が編集長に根掘り葉掘り聞いて記事にする、というスタイル。二、三年はこのスタイルが続いたが、その後、著者に原稿を依頼するという現在の形になった。
藤原書店を創立後すぐに、隔月で『機』を創刊し始めたが(一九九〇・四)、スタイルはこのスタイルを踏襲した。当初は一六頁。次いで二四頁、それから現在の三二頁。もうこれ以上大きくなると、書物の形が崩れてしまう。毎月、二万部位作っているが、心ある読書人から、この『機』の記事についてのコメントをいただくと、やはり無理をしてでも、これまで約三〇年余作ってきた甲斐があったなと、つくづく思う昨今である。
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