このたび春秋社より出版された『辞書の鬼』は、明治から大正にかけて活躍した、英文学者入江祝衛(一八六六−一九二九)の伝記である。彼については、これまで雑誌などに紹介されたことはあるが、一冊にまとめたのはこれが最初である。
私がこの本を書こうと思ったのは、二十年以上前のことだが、その動機は彼が毛筆でしたためた「辞書編纂苦心談」を、遺族から借りて読んだからである。それは実に変化に富んだ内容で、そこにはサムライ魂を失わない明治人が生きていると思った。
例えば苦学生時代に、本格的な英語を学びたいと、埼玉から東京の銀座の夜学校まで、往復五十六キロの道を毎晩走り続けたこと。長じてから数冊の英語辞書の編纂という膨大な仕事を、助手を使わず独力でやり抜いたことなど、明治人の執念は驚嘆のほかはない。しかも英語ばかりでなく、将来の日本文のあり方まで探り、『日本俗語文法論』なる著書も著わしているのだ。
彼は英語のほかにドイツ語、フランス語も学んでいる。特にドイツ語については、一時、「ドイツ語狂」と自らいうほど傾倒し、東北学院の教師時代には心理学の碩学ウィルヘルム・マックス・ヴントと親交を持った。しかしある時、ラフカディオ・ハーンの英語のすばらしさを知って再び英語に目覚め、明治四十年に初めて『註解和英新辞典』を上梓する。出版社は彼の弟が作った賞文館である。それに続き四冊の辞典を編纂しているが、後に出た復刻版以外、これらが古書市場に出ることは希らしく、ましてその第一作は、辞書専門の古書店主も見たことがないと言っていた。
私がこの最初の労作の存在をようやく見つけたのは、国会図書館の『明治期刊行図書目録』であった。手にしたその辞書の扉には、当時の権威の象徴である文部次官とか、東京帝国大学教授といった肩書きをつけた「おえらがた」の名が大きく並んでいた。しかし真の編纂者である入江祝衛の名は、小さく並記されているだけだった。けれども彼はこの辞書に自らの信念を扉裏に入れているのである。それは英語とラテン語で、「努力は何物をも克服する」というものだった。
|