私たちは今、何の抵抗もなく靴を履いていますが、今から150年ほど前までは、日本人が履いては
ならない、ご禁制の履き物であったという事実は、意外に知られていません。この禁令の影響で、浮世絵師が描く日本人と靴という題材では、靴を靴らしく描けませんでした。当時の国貞や国周の絵の中から、西洋靴探しをしてみて下さい。靴が靴らしく、自由に描けるようになったのは、明治中頃からで、靴の絵一つにも明治維新がありました。
着流しに懐手で立つ、坂本龍馬の写真はあまりに有名だが、あの写真をもって、龍馬が常日頃靴を履いていたとは考えにくい。国事に奔走する革命家が、わざわざ人目を引く禁制の靴を履いて行動したとは思えないからです。しかしそれでも、靴業に携わった者として、新しい時代に向け駆け抜けて行った龍馬には、いつまでも靴を履いていて欲しいと思う一人である。
私の子供の頃、軍人でありながら乃木将軍と東郷元帥のお二人は、超のつく有名人であった。その乃木希典(1849―1912)は、軍靴の改良にも一家言をもつ人であった。明治10年代は、軍靴の試行錯誤の時代で、緊急時に暗闇でも履けるよう、左右同形の靴を試作したりしたが、足を痛める兵が続出、失敗に終わったという笑えぬ挿話がある。乃木希典は晩年まで自説を曲げず、常在戦場の意識か、左右同形の靴を特注し、常用していたようである。かつて京橋にあったイトー靴店の創業者が造ったといわれているので、この確認も楽しみの一つである。
現在その靴が、京都桃山の乃木神社に、合わせて5足収蔵されている。(『はきもの研究会』会長・田口秀子先生確認)写真によれば、砂ぼこりにまみれているようなので、長く現状保存できるよう、何かお手伝いができないかと思っている。
業界誌『皮革世界』(明治43年発行)に「足の大小」という記事がある。それに九文七分(23.3cm)の部に東郷平八郎、十文(24cm)の部には乃木希典が載っている。初代総理大臣の伊藤博文公は、九文八分(23.5cm)の部にある。どなたの自伝、伝記を読んでも、ご本人の足のサイズまでは書いていないから、業界誌記者ならではの貴重な記録である。
一つ一つ、25年間紡いできた情報である。靴の歴史を通じ、改めて足下を見つめ直してみませんか。
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