「黒岩比佐子さんの『忘れえぬ声を聴く』について」

幻戯書房 編集部 名嘉真春紀

 この本は、2010年に52歳で逝去された作家・黒岩比佐子さんの、単行本未収録のエッセイを集成したものです。

 私は生前の黒岩さんにお目にかかったことはなく、本や新聞・雑誌で文章を読む一読者でした。ある時、公式ブログ「古書の森日記」http://blog.livedoor.jp/hisako9618/を、ご本人が亡くなられて以降、関係者の方が更新されていることを知りました。

 そこで紹介されていた「歴史と人間を描く」という遺稿を目にしたことが、今回の本が生まれるきっかけです。デビュー作『音のない記憶 ろうあの天才写真家井上孝治の生涯』から、当時の最新作『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』までの著作をふり返りつつ、“歴史”と向き合うことの面白味を全50回の構想で綴られる予定だったこの連載は、病室にパソコンを持ちこんでまで執筆されながらも、11回目の途中で、やむなく中断されました(翌2011年、西日本新聞に掲載)。

 しかし当初の構想は未完となったものの、近い内容を記されたものは、断片的ながら既にある。しかもそれらのほとんどは、新聞・雑誌などの媒体に発表されたままとなっている。ご遺族の協力をいただき、デビュー以来の文章をコンセプトのもとに編成した本書は、既刊とも一味違うエッセイ集となりました。

 黒岩さんは明治・大正期の歴史家・山路愛山の「隔離的精神」に倣い、本文中で、「時を隔てて初めて明確に見えてくる」ものがある、と書かれています。しかし、ある出来事から長い時間が経てば、記憶が薄れ、資料が散逸してしまうことも多いでしょう。そうした困難に対し膨大な調査を経て、その時代の空気・空間を再構築のうえ現代を照射するようにして書かれたのが、『パンとペン』にいたる数々の作品だと、編集中にあらためて感じました。

 写真家から伝書鳩、食、小説家と多彩なテーマを手がけた著者が、作品中ではあまり語ることのなかった発想や方法、エピソード、著作を貫く想いが、本書の端々に記されています。残念ながら現在では長らく品切れとなっている既刊もありますが、展示会などのイベントはいまも度々開かれ、先述のとおり公式ブログも続けられています。

 この本が黒岩比佐子さんについての、またそれだけではなく、読者の皆様のさまざまな記憶を新たに呼び覚ます“声”になれば、と願います。




『忘れえぬ声を聴く』 黒岩比佐子著
幻戯書房 定価2520円(税込) 好評発売中
http://www.genki-shobou.co.jp/


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