わたしが大日本雄弁会講談社へ入社したのは昭和21年のことです。それから半世紀以上経った今も現役で出版業界の片隅に生きており、われながら、長い編集者人生だと思っています。
本書『戦後の講談社と東都書房』は90歳にしての処女出版となりましたが、大勢の作家の本を数多く出版してきた者が、まさか自分自身で本を書くことになるというのも不思議なものです。
長らく出版業界に身を置いていると、往々にして信じられないことに出くわしますが、今回の自著出版はわたしにとって一番の驚きでした。
わたしが『キング』や『日本』の編集長となった頃、一般の大衆小説(現代もの、時代ものと呼ばれた)や推理小説(当時は探偵小説)は純文学と比べて一段も二段も低く見られ、軽蔑すべき通俗読物とされていました。現在のように面白ければどんなジャンルの小説でも読まれる時代ではありませんでした。
このように小説や作家を型にはまったレッテルで割り切って甲乙をつける日本独自の出版風潮に大反対であったわたしは新書サイズの「ミリオン・ブックス」や「ロマン・ブックス」を創刊し、いわゆる純文学の作家も大衆作家と同じ土俵に並んでもらいました。
戦後初となる全作書下ろしの新作からなる「書下ろし長篇推理小説」や新作長編が軽装で読めることをウリにした「東都ミステリー」を企画したのも狙いの一つで、いずれも読者からは好評を以て迎えられたようです。
現在、「書下ろし長篇推理小説」や「東都ミステリー」は古書でしか流通しておらず、なかには相応の高値がつくものもあると聞きます。
これらの叢書には、親しく付き合っていた高木彬光さんや山田風太郎さん、横溝正史さんの名前も含まれていますが、そういった著名作家以外にも、今では新刊書店に著書が並ぶ事もなく、知る人ぞ知るといった作家も少なくありません。
せっかくの機会ですので、本書では、そうした「忘れられた作家」の横顔についても可能な限りふれてみました。
わたしは推理小説の専門家ではなく、あくまで編集者の立場から見た作家の横顔しか紹介できませんでしたが、記憶の限り、知っていることを書いたつもりです。
本書には書きませんでしたが、川口松太郎や舟橋聖一とは苦い思い出があり、田無在住だった香山滋さんからは若い男が興奮するような写真を見せてもらいましたし、高木彬光さんの豪快な武勇伝も数多く見てきました。
その他、ご夫婦揃って好人物だった日影丈吉さん、将棋への傾向ぶりに泣かされた角田喜久雄さん、「霧の会」立ち上げに協力してくれた夏樹(当時は結婚前で五十嵐姓でした)静子さん……。思い出を語り出したら止まらなくなりそうなほど、60年近い出版人生では多くの方に巡りあえました。
時に楽しく、時に辛かった編集業を今も続けられるのは、かけがえのない出会いがあるからだとも言えます。
90歳を超えたわたしが初の著書を出す僥倖に恵まれたのも、数えきれないくらい大勢の作家と二人三脚で歩んだ出版人生があったからでしょう。
『戦後の講談社と東都書房』には、長い編集者生活で体験した「個人的出版史」をできる限り詰め込みました。
舌足らずな点や記憶違いもあると思いますが、最古参の編集者による昔語りを読者の皆様にお楽しみいただければ、こんなに嬉しいことはありません。
『戦後の講談社と東都書房』原田 裕 著
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