−日本古書通信−
掲載記事
(平成18年4月号)

 

背水の陣の心構え

神田・虔十書林
多田一久

 

 二十七才で埼玉のかすみ書房に入り、六年ほど修業したが、その間何軒もの支店の立ち上げに関わってきた。もう二十年前の話である。立ち上げ後の売上はほぼ予想通りであった。客としての対象が小中学生や、高校生だから、立地条件はやはり学校の近辺、そして駅の近くであった。三十四才で東京板橋区の蓮根で独立開店した時、余りの条件の悪さに友人や同僚は開店に反対したものであった。
 しかし、私は本が好きでこの社会に入ったが、今新しくこの業界に入ってくる多くの人達のように特定の分野へのこだわりも知識もなかった。ただ、この職業でやっていくんだ、食っていくんだという背水の陣といってもいい強い意識だけはあったようだ。それは現在も変わらない。独立した蓮根では、その時々の人気商品、例えばヌード写真集、コミック同人誌、Jポップ、アニメムックなどを扱うことで割合と成績を上げることが出来、支店も開店出来るまでになった。それでもやがて、当店ばかりではなく、郊外の古本屋へ足を運ぶ人の数が減少してきた。立地は良くないが、プロの古本屋から見てもよい品揃えで客も入っていた店が閉店していく。私自身も池袋か巣鴨あたりに進出したいと考えていると、天から降って湧いたようにというのか、友人の古本屋たちの進めで、あれよあれよという間に、現在の東京古書会館のごく近くに店を出すことになってしまったのである。
 神保町に来てみると、本誌の三月号「神保町のニューフェイス」でも紹介頂いているが、私が好きで市場で仕入れてきた商品をガラスケースに展示すると、板橋では展示だけで終わっていた物が、客の強い反応をよぶのには本当に驚かされた。神保町には確かに、古本を探しにくる大勢の人達がいて、質も高いことは歴然であった。お前は古本屋の仕事として何が好きかと聞かれれば、間違いなく市場で入札している時であると答える。だから、店にはあまりいないのだが、妻の話によれば、遠方から月に何回かわざわざ訪ねて来てくれる方もいるようである。これは蓮根では考えられないことであった。ならば、商売は楽かといえばそんなことはないわけで、苦しい状況が続いている。ビジュアルな商品をメインにして行きたいと考えているので、やはり店舗面積が狭いことも原因しているのである。
 ネットに移行した方があるいは成績はあがるのかもしれないが、古本屋の店番から出発した者として店舗販売から離れたくないという気持ちも強いのである。
 店にいて客と話すのも大好きである。客からは様々な情報を得られるし、神保町では私の買ってきた商品への客の反応が誠に心地よい。資金的に難しいことだが、三十坪ほどの広い店舗と、客と対話出来るスペースが欲しいと思う。でも三十坪の店なら一人で管理できるが、対話スペースを造れば一人では無理だろう。
 郊外から入ってきた者の眼から見て、神保町はやはり特殊な本の街である。その中で、私はやはり、一般の人を相手に一般の古本を扱う古本屋があってもいいと思うし、そのようにしていきたいし、またそうしなければ大変だという背水の陣の心構えでいるのである。

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