−日本古書通信−
掲載記事
(平成18年6月号)

 

蒐集の虜に

 東京町田・二の橋書店
田中 貢

 

 明治生れの父は鼈甲加工の居職人で、仕事をやりながら俳句を捻っていた。臼田亜浪氏に師事していた。ある句会で父の句が碧梧桐さんに天として抜かれ奉書紙に書いて頂いた。唯一の自慢話。句集も蒐集していた。鼈甲がセルロイドに代り不況も手伝い、仕事がなくなり昭和五年古本屋になった。戦後浅草で疎開して焼けなかった本を基に再開した。
 俳書室という狭いコーナーを設けて俳句関係書を展示した。孔版の俳書目録を作った処、前例がないというので結構好評を頂いた。
 句集の再評価にもなった。有名俳人の方々とのお付き合いも出来、たのしい時期があった。
 趣味と実益を兼ねた一例でしょうか。
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 父が他界して自分が店を継いだが、はたして如何なる分野のものを集めたら良いのか迷っていた。古書展の目録では出品の本の傾向で店の趣味が、又意外の面が反映されていたりして興味深い。特に意識していなくとも、自然に分野が定まって行くのではないでしょうか。『好きこそ物の上手』の例ですか…。
 そう自分では思いつゝもなかなか道がつかめなかった。
 山中恒さんから御愛顧頂くようになったのは浅草から町田に移って直後の事です。
 近くの珈琲屋で貴重な又参考になるお話を伺った。お宅にお伺いして蔵書にビックリ。更に膨大な極秘、軍事機密等の印がある書類、報告書、調査書を拝見して仰天。その瞬間この分野のものが取扱えられたらと思うと何だか目の前が開かれて行く気がして来た。今頃から始めても遅いのかも知れない不安もあったが遣り甲斐がある。探す愉しみ、お役に立つ可能性、我が店の方向が定まった。
 それから暫く過ぎたある日市場で入手した資料。それは例の七三一部隊が中央の指令で活動していた事実を示した證拠でした。やがて朝日新聞の第一面トップで報じられた時、思わずヤッターと思った。その時こそ資料蒐集の虜になった時でした。それを機会にして目録発行を奨められ名前を『戦塵冊』と付けて頂いて昭和史中心の戦時資料の蒐集が始まりました。
 井上ひさし先生の舞台脚本は資料を重視して数分の台詞に半日もかゝる事があるそうです。東京裁判の記録(尋問記録)などから数々の名場面も生れています。
 仕入れた資料を詳細に読むたのしみ、お蔭さまでボケ防止の特効薬になっています。
 神田秦川堂書店先代永森慶二氏からお伺いした『古本屋は研究者になっても良いが、学者になってはいけない…提供した資料が役に立てばそれでよい』とのお話肝に銘じている。
 目録の表紙には苦労しています。昭和20年8月15日の天気図を、気象庁へ行って当時のものコピーして頂き表紙にしたり、復元された特攻機『秋水』の写真を名古屋三菱重工業の工場へ写しに行ったり、アッツ玉砕山崎部隊長の悠然とした伊藤彦造画伯の迫力ある屏風絵の表紙(実物を見た時思わず涙が出ました)。最近の空襲警報(少年クラブの附録表紙)は、横浜のお年寄りの方から懐しかったと涙声でお電話頂いて嬉しかった。
 昨年十二月、胃の手術で入院中に市場に出品された資料に入札出来ずベットで悔し涙。
 次の目録に向って準備の毎日です。

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