日本の古本屋へ

『古本カタログ』と『古本カタログ』展あるいは実物との出会い。  なないろ文庫ふしぎ堂 七痴庵

今を去ること三十六年前、ト言ヘバ、昭和四十二年五月十日。

東京古書會館竣工記念として《善本展示目録》がだされ、この十日の午前十一時から午後四時の間のみ、その善本が展示された。勿論百萬塔も出た、『楚囚之詩』も出た。

この時出品された一五二点の善本がその後いかなる運命をたどったか、にも興味多いにあるけれど、年月をけみして、本年七月五日。ここに東京古書会館が生まれかわり、似たような企画とも言えないことはないが、『古本カタログ』が出版され、そして一週間のあいだ、この本にでた本たちの展示会が、新装なった古書会館に展示させられることとなったのである。おたちあい。

フンフン、そうなの、とあたしも御苦労、御世話、御大変と、関係者には同情しつつ、まずこの本を見た。

『古本カタログ』である。

右と左に本を並べて、トーシロだったら、へえと思うかもしれねえが、ちょいと、モハメッド・アリ・キタリじゃねぇか、これだったら紫式部のお尻と、マドンナのお尻を並べた方がイヒョーをついて、おまけに、吉原太夫のお尻とか、トルコ行進曲のお尻とか、それじゃお尻カタログだって、ウーン、晶文社に『古本お尻カタログ』は無理か、なんて、くだらねえことを思いつつ。


当日、展覧会をみて、はっと気がついた。

実物と、実物の情報とは、まったく違う別物だ、ということに。
いや、古本屋ともあろうものが。毎日、毎日、実物をみるという仕事の中にありながら情報にまみれ、情報をまぶした実物をみているということにも気がつくのでありました。


何によってでありますか、
実物の力によって、であります。

それが、まさに今回の展示会のもつカウンターパンチでありました。
会場に入っても、しばらくは気がつかなかった。似て非なるものを並べているわけでもないので、並べるという編集の安易さに、むしろ、アゼン、ボーゼン、ゼンジー北京だったのである。レッドスネークカモンね。
そのうち会場に、わたしのむねにだが、そのレッドスネークカモン!!がひびいた。
ワシが実物じゃ!! という大声である。

『古本カタログ』の中にある情報としての写真は、いわば翻訳されたコトバである。『桃太郎絵詞』も『御旗本備作法』も、勿論、そのカケラからもニオイや想像力はたちのぼるのだが、
しかし、それは、吉永小百合の情報であって、吉永小百合ではない。
この会場には、実物の吉永小百合がいるのだ。一人や、二人ではなく。
そうだったのじゃ。


この『古本カタログ』事体が、そのように巧妙につくられた現代のしかけ本でもあったのじゃ。
つまり、『古本カタログ』という本が左頁におかれ、右頁には展覧会の実物がある。という仕かけ。一週間で閉じるしかけ本。
そして、左頁だけの『古本カタログ』がそのうち古本屋の均一台に残る。

わたしたちはいつも実物にであっているつもりである。大音声で「ワシが実物じゃ!!」と言われなくとも、「ワタシも実物ョ」という小さな声も聞いているつもり、つもりだけど、すぐ忘れる。忘れたらあかん。
古本屋にとっては、おまえもいつもそこにもどるべき実物の世界。そこにおまえもたちもどれよ、と、古本の神様が言っている。
別に値段の問題じゃない。
この『古本カタログ』だって、せいぜい二億円しかのってないんだし、成程、上代二億円の展示会だったのではありました。

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