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トップページ « 読みもの / 文の京サロン / 第十五回:「わが町探訪 第十回『本郷郵便局』(文京区本郷六丁目一-十五)」
本郷六丁目に約4000平方メートルの広い敷地を有する本郷郵便局について調べてみました。
明治四年(一八七一年)三月、郵便御用取扱所として本郷三丁目一番地に創設されて、郵便業務の一般取扱いを開始したのが本郷郵便局の始まりです。明治十年、本富士町一番地に電信分局を設けて電信事務を始め、明治十八年十一月、郵便事務を森川町一番町に移し、森川町と本郷郵便局との結び付きが始まりました。
明治二十三年、電信分局を合併し、本富士町三番地の敷地350平方メートルに局舎を新築して営業しました。明治三十九年一月に本郷郵便局と改称されました。
時代が移って取扱量が増大しました。
昭和八年四月の本郷郵便局引受量の一日平均は次のとおりでした。
普通郵便引受 三三、四二四
小包郵便引受 二二二
速達郵便引受 九三
業務の拡大に迫られ森川町七十一番地の現在地を本郷郵便局用地として確保することになりました。
昭和十二年、そのため商店、住宅が移転し、区画内の石田病院も現在地に移りました。「原っぱ」となったため子供達の良い遊び場で、私の家内も遅くまで遊んでいたと言っておりました。
昭和十六年二月、二等有集配局が普通郵便局となりました。
昭和二十年三月九日の戦災により本富士町の建物は全焼し、本郷肴町十四番地の駒込郵便局内に移って業務を再開しましたが、同年四月十三日、再び戦災により焼失、真砂小学校内に臨時移転、更に昭和二十一年三月には東京大学構内に移りました。本郷通りの大学の塀を一部壊して「臨時出入口」とした工学部五号館付近の建物でした。私もそこへ郵便小包を出しに通ったものです。
昭和二十三年八月、本郷郵便局は庁舎を現在地に新築しました。
戦争のためとはいえ昭和二十年から二十三年までは、本郷郵便局の多難な時代だったと思います。
昭和二十九年の同局郵便物の年間引受量は次のとおりでした。
書状、はがき 一七七万余
三種、四種、五種 九一六万余
小包 一二万余
庁舎の裏側の敷地には「東京郵政局二号乙宿舎」九棟があり、職員の家族が住んでおり、近所の子供たちと仲良く遊んでおりました。
庁舎は昭和三十五年に三階建てに改築、昭和四十六年に四階建てに増改築しました。本郷通りに面する建物の前面に池が設けてあり、夏には睡蓮が咲き、冬には時々氷が張って季節を感じさせました。
現在の建物は平成五年に新築され、エスカレーター、エレベーターが完備して二階がほとんどの郵便業務の窓口となり、一階には現金自動支払機が設けられました。さらに平成十六年には一階にコンビニが入り二十四時間営業しており大変利用しやすくなっています。(編注:コンビニはその後閉店)
広い二階のロビーでは待つ間に客が、話し合っている姿も見受けられます。
本郷の中心地に所在し、明治の始めから親しまれ互いに協力し、利用された本郷郵便局が地域の人々と共に発展していくことを願っております。
(文京支部員 棚澤書店 棚沢孝一)
(『慈愛だより(発行 慈愛病院様)』より著作権上の関係から初出掲載時の地図を除いて転載致しました。また、連載の順序は初出時と異なります。)
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