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明治時代から古書.専門書を中心に営業をしております我が文京支部では、古書業界外にも名が知られた著名な古書店主を多数輩出致しました。こちらではその諸先輩方の人生を振り返りたいと思います。

第二回:「ペリカン書房(文京区本郷) 品川力氏 (明治37年~平成18年)」「品川さんを偲ぶ」

品川力氏写真

クリスチャンの品川さん(一〇二才)が平成十八年十一月三日昇天されました。品川さんは明治三十七年一月三十一日柏崎市品川牧場内で生れ、海に近い広々とした牧場の生活で育ちました。内村鑑三が品川さんの父豊治を講演旅行の途中訪れた時、一緒に写ってる写真を見せ乍ら、私に明治大正時代の事を話しました。

大正八年父と共に上京後神田で関東大震災を体験され、昭和六年本郷五丁目通称「落第横丁」に移り、弟品川工(版画家)と共に「ペリカンレストラン」を開店、吃る為接客係になりました。

昭和十四年レストランは一夜にして、近所やお客に挨拶なしに閉店し、古書店「ペリカン書房」を開店し、古本業界に入りました。文学書を主としレストラン時代からのお客、坂口安吾、立原道造、織田作之助等文学者がよく出入りして居り、同人誌「海風」の発行も引き受けました。

学者、作家の必要とする文献を探し入手すると八十三才迄自転車でお客様に届けて喜ばれ、特に近代文学館にはよく通い感謝状を頂きました。

品川さんの元気の源は毎日亀の子たわしで全身をこすり、何でもよく食べる事だとの事です。五十才代、八十才代と二回も足を骨折し入院手術後も驚く程の回復力を示したのは正に日常の鍛錬の結果だったと思われます。一〇〇才になった時文京支部でお祝いに行きました。元気で夜遅く迄読書して居るとの事でした。その年区長が区内在住一〇〇才以上の人四十余名にお祝いを届けた時「品川さんは達者の方です」と言われたと家族の方から伺いました。品川さんは寒さに強く私の店へも時々来られましたが、冬はストーブを消して迎えるので、或る時「私は人は暖く迎えると教えられたのに品川さんは反対で困る」と申し上げると苦笑してました。

この夏(編注 平成十八年)の暑さで体調をくずされ九月より入院治療してました。退院し自宅で静養中孫達と歓談した十一月三日の夕方静かに永眠されました。品川さんの業蹟や人柄は数々の雑誌や本に紹介されて居ります。自著は下記の通りです。

『内村鑑三研究文献目録』 明治文献 昭和四十三年
『内村鑑三研究文献目録 増補版』 荒竹出版 昭和五十二年
『古書巡礼』青英舎  昭和五十七年
『本郷落第横丁』青英舎  昭和五十九年
『吃々亭雑記』 日本古書通信社 昭和六十三年
『本郷落第横丁』(新装丁版) 青英舎  平成二年
『古書巡礼』(新装丁版) 青英舎  平成三年

品川さんは自ら「迷える士、迷士」とよく言ってました。本郷の文字通り「名士」が他界され淋しくなりました。御冥福をお祈り申し上げます。

(文京支部員 棚沢書店 棚沢孝一)

※ 現在は品川氏の死去に伴い、営業は行っておりません。

(東京古書籍商業協同組合機関紙『古書月報』420号「追悼 品川さんを偲ぶ」より転載致しました。)

品川氏が父と共に経営を行っていた神田猿楽町の品川書店にて(大正9年頃)
品川氏が父と共に経営を行っていた神田猿楽町の品川書店にて(大正9年頃)

古書店開業以前に同地で経営を行っていたペリカンレストラン前にて(昭和8年)
古書店開業以前に同地で経営を行っていたペリカンレストラン前にて(昭和8年)

愛用の自転車で配達中の品川氏。配達先は世田谷区や杉並区、調布市方面にも及び、80歳頃まで続けられた。
愛用の自転車で配達中の品川氏。配達先は世田谷区や杉並区、調布市方面にも及び、80歳頃まで続けられた。

品川氏著作書影
品川氏著作書影

掲載写真は以下の書籍より転載させて頂きました。

  • 品川氏室内での写真及び、配達中写真 『古本屋奇人伝』(東京堂出版)青木正美氏 (葛飾区堀切 青木書店代表)
  • 品川書店、ペリカンレストラン前写真『本郷落第横丁』付録『青英舎通信4』青英舎

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