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失われた、もしくは姿を変えてしまった文京区内のConstruction(建造物・構造物)たち。文献資料と現地の風景から、その面影を探します―。
地下鉄丸の内線・茗荷谷駅の改札を出るとすぐ、目の前を横切る春日通りの向こう側に、白い鉄板で四周を隔離された空き地が現れます。ここには2003年まで、戦前を代表するモダン・アパート「大塚女子アパート」が建っていました。
春日通りからこの空き地の脇道へ入り湯立坂を下ると、東京教育大学跡に造成された広大な「教育の森公園」、湯立坂に沿う緑深い「窪町東公園」、そして「小石川植物園」へと辿りつきます。在りし日の「大塚女子アパート」は、この大緑地帯へ人々を優しくいざなう、あたかも庭園の入口に立つ門灯のように暖かな近代建築でした。
「台所を飛び出して街頭へ出た女性! その雄々しくも勇敢な姿を、わたくしは職業婦人に見出す―」
昭和四年に刊行された『職業婦人物語』(前田一著)の書き出しです。第一次大戦後に登場し1920年代に急増した「職業婦人」は、多くが都市中流家庭出身で、必ずしも経済的事情だけではなく、自らの能力を生かすべく就労を選んだ「自立した女性」達でした。
大正デモクラシーから昭和モダニズムに至る時代の象徴的存在であった「職業婦人」。大塚女子アパートは、彼女たちの単身者専用アパートして建設されました。
昭和五年に竣工した大塚女子アパートを設計したのは、内務省の外郭団体「同潤会」です。
関東大震災の住宅復興を目的に設立された同潤会は、木造住宅による復興事業が一段落すると、鉄筋コンクリート造のアパートメント・ハウス建設に乗り出します。意匠・計画ともに優れた名作が多く、1996年に解体され高層ビルとなった「代官山アパート」、大塚女子と同年に解体された「江戸川アパート」、2006年に表参道ヒルズの一部に生まれ変わった「青山アパート」などは有名です。
中でも「大塚女子アパート」は群を抜いてモダンな造形で、コンクリート打ちっ放しが多い同潤会アパートには珍しく、外壁にタイルを使用した温もりあるデザインでした。居住スペース以外にも応接室・ミシン室・日光室・音楽室・散歩場などが設けられ、大正十四年頃から十年余り続いた同潤会のアパート建設事業の中でも、その豪華さは異彩を放っています。
終戦後も女性専用の都営住宅として存続した大塚女子アパートは、老朽化により2003年に解体されました。
白い鉄板で中の見えない空き地の前に佇むと、茗荷谷駅前の景観に暖かな灯を燈し続けた在りし日の姿が偲ばれます。大塚女子アパートは、デザインと機能と人の温もりが兼ね備わった、近代日本建築の貴重な成功例だったように思います。
[写真]
[参考文献]
中村 一也(なかむら かずや)
港や書店店主。古書目録『CONSTRUCTION 建築土木史と都市史料』を年三回発行中。
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