━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集者 国木田独歩の時代■
黒岩 比佐子
歴史の中には埋もれている事実がたくさんある。偶然、ジグゾー
パズルのピースを一つ手にすると、そこから完成図を描き出したく
なる--。昨年12月に上梓した『編集者 国木田独歩の時代』は、
編集者であり、ジャーナリストとしての国木田独歩を描いたものだ。
独歩といえば、『武蔵野』を書いた自然主義作家、という答えが
返ってくるのが普通だろう。けれども、37年足らずの短い生涯の
うち、彼が作家として執筆していたのは、実はわずかな期間にすぎ
ない。独歩は20世紀初頭の日露戦争が始まる一年前、矢野龍溪に
招聘されて、日本初の本格的なグラフ誌を創刊し、有能な編集者と
して手腕をふるっていた。その後、自ら独歩社を設立し、出版事業
に取り組む。だが、独歩社は1907(明治40)年に破産。独歩
は翌年、肺結核で亡くなった。今年はちょうど国木田独歩没後百年
に当たる。
独歩が1903年に創刊した『東洋画報』というグラフ誌は、
『近事画報』を経て、戦争中は『戦時画報』と改題する。ラジオも
テレビもない時代に、日露戦争を写真と絵画でビジュアルに伝える
『戦時画報』は人気を博した。博文館などが競合誌を創刊すると、
独歩はサイズの大判化や写真重視の方針を打ち出し、斬新なデザイ
ンで差別化を図る。さらに、新しいコンセプトの雑誌を次々に創刊
し、一時は12誌を同時に発行するまでにいたった。
その一誌は、現存する女性誌では日本で最も長い歴史をもつ『婦
人画報』であり、ほかにも、スポーツ情報誌の先駆けともいえる
『遊楽雑誌』、ビジネス情報をビジュアルに見せる『実業画報』、
当時のアイドルだった美人芸妓の写真を満載した『美観画報』など、
ユニークなものが多い。だが、こうした事実は、意外にもほとんど
知られていない。
それだけでも驚かずにはいられなかったが、ここで一つの謎にぶ
つかった。それは、独歩の妻の国木田治子が書いた「破産」という
記録小説に出てくる女写真師である。「破産」の20人以上の登場
人物は仮名で書かれているが、モデルがすべて実在することが判明
した。ところが、この女写真師だけはモデルが不明なのだ。しかも、
「破産」を除けば、独歩の周囲の人々の回想には、彼女についての
記述がまったく見当たらない。
日露戦争の時代に、写真館ではなく雑誌社の写真部に所属して、
事件現場へ出向いて写真を撮っていた女性がいたとすれば、“日本
初の女性報道写真家”と呼んでもいいだろう。しかも、明治期に女
性を写真部員として雇ったこと自体、独歩の先見性を示している。
なんとかその「女写真師」を見つけたい--。それが、大きな課題と
なった。
とはいえ、本名すらわからない百年前の女性を探し出すというの
は、雲をつかむような話である。半年ほど探索を続けたが、何の成
果もなかった。九割九分まであきらめたとき、奇跡のようなことが
起こり、失われていたジグゾーパズルのピースが見事にピタッとは
まった。ついに謎の女写真師の本名が判明し、ご遺族とも連絡がと
れて、彼女の孫に当たる方々にお会いすることができたのだ。その
ときの感激と達成感は、いまでも忘れられない。
ふり返ってみると、誰よりも私自身が、このパズルを楽しんでい
た気がする。ここまで夢中になれたのは、やはり主人公の国木田独
歩という人物の魅力だろう。友だち思いの熱血漢で、短気で癇癪持
ちだが、涙もろい人情家で、座談の名手で、誰からも愛された独歩。
彼のことを知れば知るほど、どんどん惹きつけられていった。拙著
を読んで独歩を好きになっていただけたら、これほどうれしいこと
はない。この本を書けて本当に幸せだった。
______________________________ □□編集者 国木田独歩の時代□□
著者:黒岩 比佐子
発行:角川学芸出版( http://www.kadokawagakugei.com/ )
2007年12月発行
定価:1,785円(本体:1,700円)
ISBN:978−4−04−703417−4
判型:四六判
頁数:346,4頁
◇◆黒岩 比佐子(くろいわ・ひさこ)◆◇
ノンフィクションライター。1958年、東京生まれ。
慶應義塾大学文学部卒業後、PR会社勤務を経てフリーに。
『「食道楽」の人 村井弦斎』(岩波書店)で第26回サントリー
学芸賞受賞。
著書に『音のない記憶--ろうあの天才写真家 井上孝治の生涯』
(文藝春秋)、『伝書鳩--もうひとつのIT』『日露戦争 勝利
のあとの誤算』『食育のススメ』(以上、文春新書)、
『編集者 国木田独歩の時代』(角川学芸出版)がある。
ブログ「古書の森日記」:http://blog.livedoor.jp/hisako9618/
|