━━━━━━━【古書月報タイム・トリップ (1)】━━━━━━
東京古書組合には、組合加盟古書店向けに隔月で発行されている
『古書月報』という機関誌があります。
『古書月報』には組合理事会議事録など、組合からの通達情報や、
組合活動についての特集記事などが毎号掲載されています。
その他、気楽な読み物として、組合員(古書店)から寄せられたコ
ラムなども充実しています。
今回のメールマガジンでは、この古書月報の最初期に掲載されたコ
ラム記事を再録してみたいと思います。
東京古書組合は、大正9年1月に最初の総会が開かれ、組合として
産声をあげました。その後、大正11年1月に「古書籍商組合会報
・第1号」が『古書月報』の前身として発刊されました。
このときの「会報」は前年度収支決算報告の為のもので、まだ機関
誌としての体裁のものではありませんでしたが、引き続き3月には、
第2号が発刊され、定期刊行物の役割を持ったものとして機能し始
めました。
4月発行の第3号から、初めて月報という言葉が使われ始めていま
す。その第3号の理事報告の中に、月報に記事の寄稿を募集する一
文が載り、翌4号に最初の投稿記事が掲載されました。
その最初の投稿記事「店員を優遇せよ」という一文を以下に再録し
ます。古書業界のいにしえぶりや当時の時代感を味わってみて下さ
い。
「店員を優遇せよ」 福田預作
私は、我が古書籍商組合員諸君に対して、切に望むのは雇人の優遇
である。
現在何処へ行っても雇人の欠乏を聞く(他の商売は知らず我々同業
者を指す)がこれは自分の考えでは決して人間が少ないわけでもな
く、また書籍商の希望者が無いわけではないが、要するに原因は待
遇の欠陥にあると私は信ずる。
私は驚いた。一月十日東京書籍商組合の総会において十年より二十
年以上の勤続者三十名以上を奨励するのに十一年度の計上費が僅か
二百六十円。一人頭如何ほどになる。平均して十円未満ではないか。
上述の雇人がないとか、小僧に困るとか、ため息を吐いている時節
に十年ないし二十年も忠実に主家のために尽くすというそんな美し
い、そんな麗しい心がけの所有者に対しては、なぜ組合の歳入の大
半を割いて奨励しないか。そういう忠実なる雇人を持ったことは雇
主は無論のこと、組合としては実に誇りとすべきである。
しかるに、その当事者は今日は評議とか、明日は集会とか、勝手に
寄り合って歳入のほとんどを飲食費に使って、恬として恥づるもの
はないではないか。せめて五十人も集まるうちには多少理解力に富
んだ者もありそうなものだが飲み食いには贅沢しても、最大案件た
る雇人優遇法に頭を痛めるものはないと見える。して見ると新人を
標榜して送り込まれた新役員も矢張十把一束の代物だ。
こんな鈍な頭を持っているから雇人の無いのは当たり前だ。
かの徳川家康が六十余州を席巻して天下を膝下に敷いたときに何と
言った。国家を桶に例えて国民は箍(たが)で為政者は樽である。
箍が悪ければ水が洩る。いくら樽が良くても箍次第で用をなさぬと
言って国民を可愛がったではないか。
だから四囲より風になびくように随って、ついに三百年の太平を謳
歌したではないか。
雇人に対してもいわゆる一家の箍で主人は樽ではないか。いくら主
人が威張っても、箍たる雇人に悪いものがあったら水が洩るところ
か米でも洩るではないか。
私はこの事を提案して極力主張するつもりであったが、機を失した
為に涙を飲んであきらめた。
さらに聞けば十二年度からは奨励費も削除して、単に賞状だけにす
るということも聞いた。何とお先の見えない情けない話ではあるま
いか。
だから私は古書籍商組合だけは東京書籍商組合業の例になら
わず、
狗々を仁として子子を義とする
主義をもって店員諸君を歓待し、初めて表彰する場合は、組合財産
の許す範囲において厚き上に厚きをもって なお進んでは独立する
場合など、組合の功労者として充分に援助したなら、いつしかこの
美風、否、優遇法が知らず知らず世間に伝わって来てその時こそ招
かずして雇人の集まることは、水の低きに流れるようであろうと思
う。
私はこの意義において我が古書組合員に対し、可及的に店員諸君の
優遇を望むのである。
『古書籍商組合会報』第4号・大11
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