聞き手 椛澤賢司(九蓬書店)
本号より始まった新企画「ふらり、お店探訪」。記念すべき第一回は南部支部「古書肆 田園りぶらりあ」の下正雄さんにお話を伺うべく、私たち機関誌部は田園調布の駅へ降り立った。11月5日金曜日、空には雲がほとんどなく、何とも心地の良い秋晴れの日だったが、「秋晴や心ゆるめば曇るべし」そう虚子が詠んだように、気を引き締めて大先輩の元へ向かった。
田園調布と言えば高級住宅街としての印象が強く、数多くの著名人が居を構えていることでも有名であるが、駅前に喧噪はないものの敷居の高さは感じられない。改札を抜けて高台になった西側には1990年に使用停止となった駅舎が復元されており、東側には並木の坂道がある。小さな商店が並ぶその坂道を300メートルほど下った突き当たり、「田園調布駅下」の信号を右に、途中、まっ赤なサンリオ「いちごのお家」の異様さにおののきながらもしばし歩いていくと、ブルーのビニールテントに白抜きで「古書肆田園りぶらりあ」とあるのが見える。「下さんはとても温かい方で、そのお人柄がお店に表れていると思います」今回ご同行頂いた九蓬書店・椛澤さんの言葉通り、下さんの優しさが言葉の端々から伝わってくるインタビューとなった。
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- お店は何時から開けていらっしゃるんですか。
- 下
- 9時半です。そんな早い時間にお客さんは来ませんから、10時までの30分間はいつも(一日何をやろうかな……)と瞑想にふけるんです。そうすると「よし、今日も楽しくやるぞ!」と気持ちが引き締まります。たまに開店と同時にお客さんが入ってくる日もありますけどね。
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- 9時半というのはとても早いですね。田園調布という土地柄、優雅にご商売されているのかなと思っていました。
- 下
- 今はそうかもしれないけど、最初は大変でしたよ。「こんな街に古本屋が来たって相手にしてくれないんじゃないか」という不安もありました。
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- 開店はいつ頃ですか。
- 下
- 昭和48年ですから、今から37年前になります。47年に大雲堂書店さんから独立したのですが、その後一年だけ市ヶ谷と飯田橋の間のお堀の大通りで店をやっていました。ちょうど法政大学が目の前にあって。商売にはならなかったですよ。
田園調布に移るきっかけは、店の近くに住まいがあったんだけど、隣り合わせの建築会社が「本社ビルを造りたいから売ってくれ」と言ってきた。その時に「本屋ができる物件と交換してくれないか」と持ちかけたんです。長い間交渉しましたが、ここしか空いてないと言うし、こっちも早く立ち退きたいから決めてしまったんだけど、今の半分で七坪しかなかった。隣は中国の民芸品を販売する店が入っていたんです。
移って5年ぐらい経ってから、隣の店が神戸に引っ越すので物件を買わないかと言ってきた。もちろん店が広くなるに越したことはないんだけど、そんな資金はありませんし、当時は銀行もなかなかお金を貸してくれない。現金担保でなければダメだというので、色々と工面をしてどうにか融資を受けることができたんだけど、それからはもうひたすら借金返済の日々ですよ(笑)。
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- そんなご苦労があったんですね。元々ここにお住まいなのかと思っていました。
- 下
- きっとみんなは簡単にこの店を買ったと思っているだろうけど(笑)、本当に苦労しましたよ。それでも開業したての頃は買入には恵まれていたので、商売を続ける基礎を作ることはできました。当時はまだこの街も瓦屋根の家が軒を連ねていて、住んでいるのは年配の方ばかりでしたが、そのうち建て直しや土地を売って出て行く人が増えてきて、その度に蔵書整理がありました。多い時にはバイクで一日に9箇所も回りました。今は街並みも住んでいる人もだいぶ様変わりして、昔のようなことはありませんけどね。
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- 仕入れにまつわる思い出はありますか。
- 下
- 沢山あります。昔の家はどこも縁側があって、そこに積み上げられた本を一冊ずつ見ては山を作っていく。自信はないけれども金額を決めて、「このぐらいでいかかですか」「良いですよ」と言っていただいた時には、やはり嬉しいものです。
ある時、話がまとまった後で「ちょっと奥にある本も見てください」と呼ばれた。すると柳行李があって中には錦絵が沢山入っているんです。私は錦絵の相場なんてわからないのですが、「これは子供達が見たら困るものだから、さし上げますので一緒に持って行ってください」と言われていただいたことがありました。古本屋をやっていると、こんな風に突然未知の世界と鉢合わせることがあって、それも醍醐味の一つですよね。
その錦絵は市場へ出品してくださいと言われまして、会の前日にタクシーで持って行きました。市会の方はとても親切ですべて仕分けしてくれて。当日は市会のかたから「出品したんだからおいでよ」と誘っていただいたので会場に座っていたんだけど、発声の度にみんなが僕の顔を見るんですよ(笑)。恥ずかしくて下を向いちゃったんだけど、「下君!下君!」なんて名前を呼んでくれて、皆さんとても優しかった。
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- 大雲堂さん時代に皆さんと顔見知りになっていたんですね。
- 下
- 17年いましたからね。顔は知ってくれていますし、今は亡くなられた先代の方達にもとても良くしていただきました。売ることは難しかったけれども、同業との繋がりは温かかったし、やりがいのある商売だと感じていました。
もちろん今よりはずっと本は売れました。店を大きくした時には、二階に積み込んだ本を家族全員で一晩中降ろしましたが、九時にはすぐお客さんが来てくれて、その時は古本屋をやっていて良かったなと思いましたね。