ふらり、お店探訪

聞き手 椛澤賢司(九蓬書店)

五反田遊古会でも下さんは売り頭というイメージがあります。
よく言うんですけど、僕は勉強不足で価格が分からないだけなんですよ。全部自分の感覚で値付けしてしまうから、安いのも高いのもあるかもしれないけど、それで良いと思っています。でもお客さんに安いねって言われる方がありがたいですね。
今はインターネットの時代ですから、価格がどうしても均一化してしまって、お客さんも古本屋も面白みに欠けるところがありますよね。
色々な商売の仕方があると思いますけど、私はお客さんから買った本を店に置き、また展覧会で売るのが好きですね。「目録に探している本が載ってたよ」と言われるとすごく嬉しい。
展覧会はいつ頃から参加されていますか。
はっきりとは覚えていませんが、まだ南部会館は木造でした。あの頃の展覧会は大井町の高原書店さんが仕切っていましたが、新人にも優しく接してくれた。南部支部というのは今でもそうだけど、同業の足を引っ張り合わないで、とても仲が良いよね。
南部との縁は―店はたまたまさっき話したような経緯で決まったんだけど、大雲堂さんに勤めていた頃から、霞町の市場にはよく行かされました。今振り返ればとても厳しい修業だったと思います。あの時分に市場へ来ているのはご主人ばかりで店員は僕だけでした。だから怖くてなかなか声が出せなかったし、「なんだお前は」という風にみんな顔を見てくるから、全然買えなかった。落ち込んで店に戻ると「市場で買えないのなら、業者を回ってセドリしてこい!」と怒られて、慌てて風呂敷を持って飛び出してね。
でも店員さんに仕入を任せるというのはすごいですね。
古書肆 田園りぶらりあ 下正雄さん
大雲堂さんは店員をしっかり育成していました。ご主人は神田の市場にも行かず、全て先輩が仕入れていた。私も最初は霞町で修業して、やがて神田へ行かせてもらえるようになりましたが、神保町に沢山ある店の中でも店員を市場に行かせていたのは大雲堂さんくらいだったと思います。店員が仕入れてきたものをご主人が値付けして、ダメな品物についてはその理由をちゃんと教えてくれる。でもその本が店で売れちゃうとご主人もばつが悪いから、それとなく誉めてくれて(笑)。
地方へセドリに回ったこともありました。新幹線が無い時代ですから夜行列車で一泊して、朝六時に名古屋に着く。前に行ったことのある番頭さんが地図を作ってくれて、それを見ながら色々な業者さんに名刺を配って回る。買った本を宅急便で送ってから松本へ移動して旅館で一泊、翌日は長野や上田をめぐって帰ってくるんです。
大変そうですが、そこまでやらせてもらえるのはとても良い経験になりますね。
その時は古本屋になるつもりは全然なかったんだけどね。仕事として淡々とこなしていただけで。
どのようなきっかけで大雲堂さんに入られたのですか。
就職難だったからどこでも良いと思っていて、たまたま拾ってもらったという感じです。本が好きということでもなくて。就職する時に一般常識の試験を受けたのを覚えています。確か「十七条憲法」と「聖徳太子」を結びつけたりしたな。
大雲堂さん時代に、特に思い出に残っていることはありますか。
辛かったことだけど、一時期、大雲堂さんでは教科書も扱っていたんですよ。3つの高校と2つの中学校だったかな。12月になるとトラックが来てどんどん教科書が入ってくるんだけど、それを3階の倉庫まで運び上げるのがもう本当にしんどくて。木造ですから、上手いこと柱の上に積み上げないと潰れてしまうぐらいに量があった。8年ぐらいはやったでしょうか。
あと冬は練炭火鉢を置いていたんですが、朝7時半に店を開けて火を起こす係をやっていました。綺麗に掃除もして、先輩が来る8時前にはしっかりと用意を整えておく。そんなことを五年は続けましたが、忙しくて本を覚える時間なんか無いんです。どういう本が売れたかは見ていれば分かるけれど、頭の中にインプットする余裕はありません。ただ今日一日を終えることだけを考えていました。店を九時に閉めてからも残務処理をして仕事が終わるのは11時、終電が無くなってしまうので飯田橋まで歩いて帰りました。でも大雲堂さんだけがそうだったのではなく、当時の神保町の古本屋には同じような厳しさがあったでしょう。
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