文京の古本屋

文京の古本屋について

文の京(ふみのみやこ)に、学術書とこだわりの古書屋。

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沿革

年代 できごと
明治20年頃 この頃から現在の文京区本郷、小石川地域を中心に古書店が開業する。
明治23年1月頃 江戸時代から営業を行う小石川伝通院前の小石川で最古の古書店雁金屋が目録(カタログ)による通信販売を開始する。日本国内の古書の目録販売の先駆。
明治37年頃 本郷二丁目の貸席、志久本亭で「洋書後楽会」などの古書の業者市(交換会)がこの頃から開催される(明治37年2月6日 日露戦争開戦)
大正5年8月 現在の神保町、東京古書会館建設地に東京を中心とした古書業者の業者市を行う事を主たる目的とした会館、東京図書倶楽部落成。
大正9年1月 東京古書籍商組合創立。地域事に区制で業者が分けられ、現在の文京支部は第四区と成る。
大正12年9月 1日に起きた関東大震災により、東京図書倶楽部消失。当支部員の本郷菊坂、井上書店に東京古書籍商組合事務所を10月から翌年4月まで仮設置。(志久本亭も消失。
昭和6年5月 東京古書籍商組合が準則組合として東京府より認可される。
昭和7年12月 全国の古書業者の組合の組織である全国古書籍商連盟を結成。
昭和8年 本郷真砂町(現在の文京区本郷四丁目)貸席、本郷倶楽部にて業者市「いかり会」開設。この他に「本郷市会(後にこの会が文京支部直営の業者市となる。)」「革新会(昭和16年解散。神田へ移る。)」「本郷同好会」「医書市(東京図書倶楽部で運営。昭和17年ごろから本郷四丁目会事務所で運営)」「赤門市会」などの業者市も開催されていた。
昭和14年9月 後に文京支部の支部運営の業者市「赤門会」と合併を行う学術書専門の業者市、「東京資料会(現在も神保町、東京古書会館にて毎週水曜日開催。)」が東京古書籍商組合本部に設立される。設立時の名称は「第二倶楽部資料会」文京支部員も多数会員となる。(9月1日 第二次世界大戦勃発。この頃より古書店の子息や店員も軍隊への入営が相次ぐ。)
昭和15年12月 17日、前年9月に公布された九.一八物価停止令により7月末から高橋誠一副組合長、第四区支部(現文京支部)員の組合役員反町茂雄氏(弘文荘)を中心に製作を行っていた「古書籍基準販売価格表」が決定され、官報に公示される。
昭和16年9月 公認東京古書籍小売商業組合発足。区制から支部制となり、第七支部となる。
昭和17年5月 前年11月に支部長、幹事が選定され正式に東京古書籍小売商業組合に改組。併せて組合は東京図書倶楽部買収。組合傘下の業者市は今までの私営から全て組合直営となる。(徹底した左翼書の販売の禁止による組合員への処罰も発生。)
昭和19年6月 帝国議会の商工組合法公布により、東京都古書籍統制組合に改組。
昭和20年8月 15日 太平洋戦争終戦。
昭和20年9月 当支部も空襲の被害を受けていたが、早くも9月頃には戦災を免れた支部員を中心に本郷の古書店柴屋にて支部の業者市が始められる。
昭和20年10月 かつての本郷電車通り四丁目付近の歩道に古本の露天を始める業者が現れ始める。その後22年の4月頃まで、露天が増えた後マーケットとなる。(このマーケットは25年から取り壊しが始まる。)当時出店していた泰雲堂書店、金澤泰次郎氏(大正六年生)によるとお客様は東大(当時の東京帝国大学)の学生と先生が中心で、終戦当時入手が難しかった医学書・学術書が非常に良く売れたとの事。
昭和22年9月 東京都古書籍商業協同組合設立認可が東京都から下りる。正式に警察より認可を受け、支部の業者市は柴屋近くの空家に場所を移す。
昭和23年8月 全国古書籍商組合連合会設立総会開催。空襲により消失した東京図書倶楽部に変わる東京古書会館が同地に落成。(9月、GHQにより露天禁止令が出るが、実際に廃止になったのは昭和24.5年頃。)
昭和24年 第七支部交換会(業者市)湯島新花町の古物市場に移転。本富士古物会館も併用。支部の総会なども当館を利用して行われた。
昭和36年 本富士古物会館が鉄筋コンクリート4階建ての建物に改築。(その為、家賃の値上げが発生。後に支部の業者市を本部の東京古書会館に移転する一因となる。本富士古物会館改築中は支部の業者市は霊雲寺境内のプレハブ建築にて行われた。)
昭和38年8月 支部の業者市は「赤門会」と改称される。記念大市会(大規模な業者市)が10月25.6日貸席すきや、道具会館にて開催され、空前の出来高を収める。
昭和38年 本富士古物会館の利用が困難になり、本部の東京古書会館に赤門会が移転する。開催日は午前中は赤門会、午後は洋書専門の本部業者市「東京洋書会(現在も神保町、東京古書会館にて毎週火曜日開催。)」が開催する事で本部移転が決定。
昭和41年 本部の東京古書会館改築の為、赤門会も日貿ビルに移転。赤門会、本部直営交換会協議会へ一新会(神田支部の支部業者市的な会。現在も神保町、東京古書会館にて毎週木曜日開催。)と同様準会員の資格で参加、のちに同格となる。
昭和42年 本部の業者市は曜日製となり、学術書専門の業者市、「東京資料会」と交互使用になる。(赤門会は第一、三週月曜日開催。)
昭和42年5月 東京古書会館落成。
昭和46年 双方の会員が多数重なる事などの事情から、審議を重ねていた「赤門会」の発展的解散と「東京資料会」との合併が10月2日に決定する。名称は「東京資料会」を使用。現在も神保町、東京古書会館にて毎週水曜日開催。
昭和47年 1月15日支部総会後、東京古書会館にて赤門会解散記念謝恩パーティー開催。
昭和54年 本部交換会直轄直営化。
平成15年7月 新東京古書会館竣工。

参考資料

  • 「東京古書組合五十年史」 東京都古書籍商業協同組合
  • 「稿本 文京支部史」 稔書房代表 平井泰夫著 東京都古書籍商業協同組合文京支部
    (旧文京支部員 故人)
  • 「一古書肆の思い出 全5巻」 弘文荘代表 反町茂雄著 平凡社 (旧文京支部員故人)
  • 「紙魚の昔がたり」弘文荘代表取締役 反町茂雄著 八木書店 (旧文京支部員 故人)

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