文京の古本屋

読みもの

文の京(ふみのみやこ)に、学術書とこだわりの古書屋。

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文の京サロン

皆様は、雑誌の連載や本を出している古書店主がとても多い事をご存知でしょうか。東京古書組合でも機関誌「古書月報」を隔月で発行し、古書店主達が原稿の執筆を行い、編集も担当の古書店主達が自ら行っている程です。こちらでは東京古書組合文京支部員の古書店主達による、エッセイを掲載していきます。主に歴史のある文京区をテーマに自らの専門分野を活かした物や、独自に調査した物など様々なエッセイをお楽しみ下さい。

東京古書組合機関誌「古書月報」

東京古書組合機関誌「古書月報」

文京支部員による著作の一部

文京支部員による著作の一部

文京支部員による著作の一部

文京支部員による著作の一部

文の京サロン 第十六回:「わが町探訪 第十一回『棚澤書店』【最終回】(文京区本郷六丁目十八-十二)」

棚沢書店外観

長い軒、ベランダの手摺りにご注目下さい。

歴史と文化の豊かな本郷には「求道会館」等昔の建物が残って居ります。

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文の京サロン 第十五回:「わが町探訪 第十回『本郷郵便局』(文京区本郷六丁目一-十五)」

約20年前の本郷郵便局

建物前面に池が設けてあった頃の本郷郵便局(92年)

本郷六丁目に約4000平方メートルの広い敷地を有する本郷郵便局について調べてみました。

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文の京サロン 第十四回:「わが町探訪 第九回『郁文堂』(文京区本郷五丁目三〇-二一)」

郁文堂外観

歴史と文化の風土に恵まれた本郷の町に目立つ産業として、旅館、下宿、医療機器関係のほかに書店や出版業があります。

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文の京サロン 第十三回:「わが町探訪 第八回『フォレスト本郷』(文京区本郷六-十六-四)」

フォレスト本郷前景

本年(編注 平成十五年)は「江戸開府四百年」に当たりますが町内にも歴史を伝える「フォレスト本郷」の場所があります。

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第十二回:「わが町探訪 第七回『作家 宇野 浩二』(文京区本郷六丁目三-三)」

明治以降本郷には多くの文化人が住んでいました。徳田秋聲氏(一八七一~一九四三)は森川町に明治三十九年から昭和十八年まで永い間住んでいました。宇野浩二氏(一八九一~一九六一)が森川町に居を定めていたのは昭和二十一年から昭和三十六年までの終戦後の比較的短い期間でしたが、私が昭和二十三年に上京したときに接した最初の作家です。

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第十一回:「わが町探訪 第六回『鳳?館(ほうめいかん)本館』(国登録有形文化財建造物)」(文京区本郷五-十-十五)

鳳明館看板

明治十年東京大学が創立されて以来、本郷には学生の下宿が増えました。

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第十回:「わが町探訪 第五回『本郷弥生交差点』(文京区本郷六丁目二十六)」

本郷弥生交差点

歴史と文化の風土に恵まれた町の続く本郷の中心に、「本郷もかねやすまでは江戸の内」と言われる本郷三丁目の交差点があります。その本郷通りを北上すると岩槻街道になります。中仙道と分かれる所が「追分」で、その手前に言問通りと交わる「本郷弥生交差点」があります。

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第九回:「わが町探訪 第四回『求道会館』(東京都指定有形文化財・建造物))(文京区本郷六-二十-五)」

求道会館

本郷六丁目に最近復元された「求道会館」について調べて見ました。

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第八回:「わが町探訪 第三回『映世神社』(文京区本郷六丁目十四)」

現在の宮前広場

この辺り一帯本郷六丁目(旧森川町)はもとは本多家の屋敷町でした。江戸時代のはじめから、岡崎藩本多家(森川町一-一)の脇に初代本多平八郎忠勝を祀る「映世神社」(森川町一-ニ、現本郷六-十四)がありました。

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第七回:「わが町探訪 第二回『松屋(松屋ノート)』(文京区本郷五丁目二九-一二)」

松屋ノート表表紙

明治になると社会に西欧文化の影響が見られるようになりました。

その一つ「大学ノート」の製造販売の店が本郷にありましたので、調べてみました。

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第六回:「棚澤書店さんが雑誌『週刊昭和 19号  44年』に掲載されました。」

第五回:幻の南天堂へ

現在、同じ場所で新刊書店を営まれている南天堂書房さん

つながっているんだなあという話からはじめます。秋山清さんと晩年おつきあいをさせていただいた。お話をみんなでうかがったり、甘えて、原稿を書いていただいたり、それで、「彷書月刊」の創刊号に、秋山さんの原稿がある。お亡くなりになって、コスモス忌という偲ぶ会にも、おじゃまさせていただいたりもした。

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第四回:「当支部員の南陽堂書房さんの古書目録が新聞に紹介されました。」

第三回:「わが町探訪 第一回 新宿『中村屋』(文京区本郷六丁目十八-十一)」

本文中に登場する「新宿中村屋」創業の地の現在の写真

パン屋と本郷について調べてみました。

関東でのパンの製造は、横浜開港の安政六年以降、欧米人約千百人が住み、パンを注文するようになったため、一八六一年米国人グッドマンがパン屋を開いたのが始まりのようです。東京では明治三年(一八七〇)木村屋が銀座にパン店を開いています。海軍がパン食を採用したので一般にも急速にパンが普及しました。明治十五年に東京のパン店は百十六店になって、木村屋の一個一銭のアンパンは銀座名物になりました。

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第二回:『文京Construction 1「職業婦人」のモダン・アパート ―大塚女子アパート― (文京区大塚3丁目)』

大塚女子アパート

(『東京・横浜復興建築図集』建築学会編.丸善発行(1931年) より転載)

失われた、もしくは姿を変えてしまった文京区内のConstruction(建造物・構造物)たち。
文献資料と現地の風景から、その面影を探します―。

地下鉄丸の内線・茗荷谷駅の改札を出るとすぐ、目の前を横切る春日通りの向こう側に、白い鉄板で四周を隔離された空き地が現れます。ここには2003年まで、戦前を代表するモダン・アパート「大塚女子アパート」が建っていました。

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第一回:「八丁堀の与力も通った文京の古本屋」

「深沢良太郎商店」店主、深沢良太郎氏写真

2007年10月29日~12月9日の間、千代田区立四番町歴史民俗資料館にて開催された『平成十九年度特別展「江戸町与力の世界 -原胤昭が語る幕末-」』にて元文京支部員故深沢良太郎氏(明治三年~昭和二十五年)が経営されていた深沢良太郎商店から元南町奉行所与力、原胤昭(はらたねあき)氏が明治以降購入された古書の一部が他店から購入された古書と供に深沢良太郎商店の値札帯の付けられた状態でガラスケース内に展示され「文京の古本屋」の歴史の深さを伺わせる展示物となりました。

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