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トップページ « 読みもの / 文の京サロン / 第十二回:「わが町探訪 第七回『作家 宇野 浩二』(文京区本郷六丁目三-三)
明治以降本郷には多くの文化人が住んでいました。徳田秋聲氏(一八七一~一九四三)は森川町に明治三十九年から昭和十八年まで永い間住んでいました。宇野浩二氏(一八九一~一九六一)が森川町に居を定めていたのは昭和二十一年から昭和三十六年までの終戦後の比較的短い期間でしたが、私が昭和二十三年に上京したときに接した最初の作家です。
宇野さんは大正四年に西片町に家を借りて母と共に住んでいたことがあります。その頃のことを回想して昭和二十三年には小説『西片町の家』を発表しています。その中には「西片町の家は第一高等学校前の電車の停車場のあるところから白山上までの大通りのちょうどまん中へんの左側の路地の中にあった」と書いています。次に上野桜木町に転居し大正十二年から昭和五年まで、「本郷菊富士ホテル」 (本郷五-五-十六)を仕事場にしましたので、本郷界隈をよく歩くようになりました。
昭和二十年三月、東京大空襲の直後に信州松本市へ疎開、終戦後間もなく夫人を亡くし、昭和二十一年には単身上京しました。その時の下宿は森川町の「双葉館」(本郷六-十六-十四)でした。二階西向きの部屋には本が一ぱい積み重ねてあったそうです。そこに万年床を敷いて自ら「深山幽谷」と称していました。出版社の人が来て襖を開けた時一瞬戸惑ったと言われています。それでも友人の広津和郎氏、正宗白鳥氏達が部屋の中で永い間「文学談義」をしていたとのことです。昭和二十三年に森川町七十七番地(現本郷六-三-三) に移りそこで亡くなるまで本郷で生活が営まれたのでした。
宇野さんはよく和服で外出しました。冬はコート (二重まわし) で中高のソフト帽をかぶった姿でゆっくり私どもの店に来ては、文学関係の古書を買い求めていきました。買った本は自分では持たず同伴してきた人が運んでいました。その人が生涯師弟関係にあった水上勉氏だったとは後にわかったことです。
当時は内風呂のない家が多く入浴は銭湯へ行くのが普通でした。今はなくなりましたが近所ではやっていた「七宝泉」(本郷六-十七-九)でよく会いました。銭湯での宇野さんは竹の脱衣寵にきちんと着物を入れ、上から風呂敷をかけておいて同伴の人と文学談義をしながらゆっくりと入っておりました。水上勉著「宇野浩二伝」にも「宇野さんは銭湯が好きだった。宇野さんの入浴は驚くほど長湯というよリスローテンポ」と書かれています。風呂から上がると同伴の水上さんと思われる人が着物を肩から掛けてやっている姿は特に目立ったものでした。
宇野さんは昭和二十四年、日本芸術院会員、芥川賞選考委員になりました。五月十日、昭和天皇の御陪食に窪田空穂、豊島与志雄、高浜虚子、斉藤茂吉、広津和郎等の諸氏と共に招かれました。その時のことは宇野さんの 『御前文学談』に「豊島与志雄と二人は東大前から電車に乗って馬場先門で降りた」と書かれています。広津和郎氏は 『うつりかわりと思い川』 に「宇野浩二が、陛下の前で「人間を書かせたらやっぱりわれわれ」と言い、右の人指し指で自分の胸を指しながら言った」と書いていることで如何に「文学」に自信があったかがわかります。
終戦後もしばらくは、現在のようにコンビ二等も無くお手伝いさんの人手も得られない時には、独り暮しは大変だったと思われます。時には知人に手紙を出し「水上勉一家との同居も」と書いていましたがそれは叶いませんでした。宇野さんはまめに手紙や電報を出しました。筑摩書房(現本郷五-三十一)の編集者に校正の原稿を渡した直後に一字でも一句でも訂正の必要が生じたときはその旨を何回でも手紙に書いて本郷郵便局まで出しに行きましたが、筑摩書房に行くのとどちらが近いかわからないくらいなのでした。
文章の書き方については非常に厳しく「文学の鬼」といわれながら昭和三十六年に自宅で他界されました。
(文京支部員 棚澤書店 棚沢孝一)
(『慈愛だより(発行 慈愛病院様)』より著作権上の関係から初出掲載時の地図及び写真を除いて転載致しました。また、連載の順序は初出時と異なります。)
文学者、宇野浩二(1891~1961)は、1919年(大正8年)、「蔵の中」で文壇にデビュー、「苦の世界」など、独特の語り文体で人情の機微を描き、作家としての地位を確立。
広津和郎、芥川龍之介、江戸川乱歩などと親交しながら、”文学の鬼”とよばれるまでに作家活動に専念し、「思い川」で読売文学賞を受賞、芸術院会員に選ばれ、芥川賞の選者としても活躍しました。
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